しゅう しゅう ぎん
王 陽明
明 (1472 〜 1528)

知者不惑仁不憂

君胡戚戚眉雙愁

信歩行來皆担道

憑天判下非人謀

用之則行舎即休

此身浩蕩浮虚船

丈夫落落掀天地

豈顧束縛如窮囚

千金之珠彈鳥雀

掘土何煩用属鏤

君不見東家老翁防寅患

虎夜入室銜其頭

西家兒童不識虎

執竿驅虎如驅牛

痴人懲噎遂廢食

愚者畏溺先自投

人生達命自洒落

憂讒避毀徒啾啾
しゃまど わずじん しゃうれ えず
きみ なん戚戚せきせき そう うりょ
まか せて行来こうらい せよみな 担道たんどう
てん ってはん せよ人謀じんぼうあら
これもち うればすなわおこな つればすなわ
浩蕩こうとう きょ しゅううか
じょう 落落らくらく てん かか
あに 束縛そくばくかえり みてきゅう しゅうごと くならんや
千金せんきん たま もてちょう じゃく たんや
つち るになんわずら わさんしょく もち うるを
きみ ずやとう 老翁ろうおう とらうれいふせ
とらよる しつはい ってこうべふく
西せい どう とら らず
竿さお ってとら ることうし るがごと
じんむせび りてついしょくはい
しゃおぼ るるをおそ れてみずかとう
人生じんせい 達命たつめい おのずか洒落しゃらく
ざんうれ けていたず らにしゅうしゅう たらんや

論語に、 「知者は惑わず、仁者は憂えず、勇者は懼れず」 とあるが、人間、物事の道理に通じ、心にやましいことがなければ、如何なることに遇っても憂い迷うことはないのだ。
それなのに、君はどうしてそんなに双方の眉に皺をよせて憂えるのか。取り越し苦労ばかりしないで、自分の考えにまかせて行きなさい。思いのほかすらすらと行ける平坦な広い道があるものだ。若し迷うことがあったならば、その時は天意によって判断をするがよい。必ず道は開けるものである。
自分が採用されれば大いに実行に移して世のため人の為に働こう、もし採用しないならば、時期の来るまで休養して英気を養っておこう。何人の用いる用いないなどは問題でない、と考えて、広々とした水の上に浮かんでいるから舟のように自分の心を小さな肉体以外に置いて、大きな理想に生きようと心掛ければ、浮世の波にもまれて溺れ死ぬような心配はない。自ら大丈夫を持って任じ、落々たる雄大な理想を持って世界を一人で背負って立つ気持ちになりなさい。
周囲の利害に束縛されて囚人のような卑屈な思いをして、尊い一生を、くよくよと送るなかれ、吾は千金に値する玉や金銀をちりばめた宝剣にも値すべき尊い天命をもってこの世に生まれたのだ。雀のような小人共が騒いでも、この尊い玉を使って弾ち平らげる必要もない。
また、土を掘るのには普通の鍬で沢山だ。何も宝剣を用いることはない。世間のありふれたことは誰でも用が足りる。何も自分が乗り出すまでもない。と、大きく自らを重んじて軽々しく動かず、日頃自らを磨き高めるべきだ。
ある家の老人は、むやみに虎を恐れて木戸を厳重にしてこわごわと暮らしていたが、ある夜ついに虎の為に頭から食われてしまった。
その隣の家にも虎が侵入してきたが、その家の子供は、それが恐ろしい虎だとは知らないで、面白がって竹竿をもって牛でも追うように虎を追い払ってしまった。世の中はおよそこんなものである。自信過剰もよくないが、いたずらに心配ばかりしていると、かえって禍が押し寄せてくるし、自ら善いと信ずることに向かって行けば、鬼神も避けてしまうのだ。
一度むせんだからといって、食事も取らずに居るものは大馬鹿者であるが、また、溺れるのを恐がっている愚か者は、足も震えて自分で水の中に身を投げるようなことになる。
このように世の中の出来事を、よく達観して、高遠な理想に生きるようになれば、自然と気持ちが大きくなり、心はいつも晴々とさっぱりする。讒言やそしりを気にかけて、常に啾啾と草葉に隠れて泣き暮らす虫のように、陰鬱な生活を送るべきではない。