秘書ひしょ ちょう かんにっ ぽんかえ るを おく
王 維
盛唐 (699? 〜 761)

積水不可極

安知滄海東

九州何處遠

萬里若乘空

向國惟看日

歸帆但信風

鰲身映天黒

魚眼射波紅

郷國扶桑外

主人孤島中

別離方異域

音信若爲通
積水せきすい きわべか からず
いずく んぞ 滄海そうかいひがし らん
きゅう しゅう いず れの ところとお
ばん そらじょう ずるが ごと
くにむか って ただ
はん ただ かぜまか
鰲身ごうしん てんえい じて くろ
ぎょ がん なみくれない なり
きょう こく そうほか
しゅ じん とううち
べつ まさ いき
音信おんしん かんつう ぜん

果てしない海はきわめることができない。どうしてその青海原の東など知り得よう、わかるはずもないのが、この世界の中でいったいどこが遠い国になるのか、あなたの国ほど遠いものはないと思う。万里もの道のりはまるで空を行くようなものであろう。
お国 (日本) に向かわれるには、ただひたすら日をながめ、お国への帰路の船はもっぱら風にまかせるほかあるまい。
海にいるというおおがめの体は黒々と天に映り、そこにすむ魚の眼は赤々と波に光る。
そしてあなたのお国は日の出ずる神木の外にあり、あなたはその孤島の中に住む。
もはや離れ離れになってしまうとあれば、場所は全く違うのだから、一体無事に便りが届くのだろうか、まことに心細いかぎりである。

(注) 秘書晁監は阿倍仲麻呂 (698〜770) 。
二十歳の時遣唐使に従って入唐、玄宗に仕え朝衡 (晁卿) と改名。在唐五十四年に及び、李白、王維らと交際があった。753年帰途についたが、船が安南に漂着したため長安に戻った。