洛陽の街の東に咲く桃や李の花は、飛び来たり飛び去りして、誰の家に散り落ちるのであろうか。
洛陽の娘達は容色の衰えるのを惜しみ、街を歩いていて花の散るのにあうと大きなため息をつくのである。
今年も花が散って春が過ぎる頃には、娘の容色も少し衰えを見せたが、明年また花が咲く頃に、誰が今のままでいられようか。
私は、墓場の松や柏でさえ切られて薪にされてしまったのを見た事が有る。また、昔の桑田がいつしか海に変わってしまったという話も聞いたことがある。
散る花を惜しんだ昔の人は、もう洛城の東には居ない。然し、今もまた花を散らす風の中に立っている人がある。来る年、来る年、花には変わりないが、行く年毎に人は変わって行く。
聞きたまえ、今若い盛りの少年達よ。
この半死の白髪頭のお年寄りには君達もきっと同情するに違いない。
このお年寄りの白髪頭には全く憐れむべきものがある。このお年寄りも昔は紅顔の美少年であったのだ。貴人の子弟達と芳樹の下で遊んだこともある。また花吹雪の下で美しい歌や舞を楽しんだこともある。漢の光禄太夫が池中に高殿を造り、錦のぬいとりを張りめぐらせた庭園や大将軍梁冀が造った内部に神仙の画を描かせたという豪華な館にも劣らない処で遊んだものである。
ところが、ある日病に臥してからは、一緒に遊んだ友も寄り付かなくなってしまった。春の行楽は一体誰の処に行ってしまったのか。若い娘の美しい眉もいつまでそのままでいられるであろうか。あっという間に白毛の乱れたお婆さんになるのだ。
昔から歌舞で賑わった処を見給え。今はただ、夕暮れどきに、小鳥達が悲しげに鳴くばかりではないか。
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