白頭はくとうかな しむ おきなかわ
劉 廷
中唐 (651 〜 680?)

洛陽城東桃李花

飛來飛去落誰家

洛陽女兒惜顔色

行逢落花長嘆息

今年花落顔色改

明年花開復誰在

已見松柏催爲薪

更聞桑田變成海

古人無復洛城東

今人還對落花風

今人還對落花風

年年歳歳花相似

歳歳年年人不同

寄言全盛紅顔子
應憐半死白頭翁

此翁白頭眞可憐

伊昔紅顔美少年

公子王孫芳樹下

清歌妙舞落花前

光祿池臺開錦繍

將軍樓閣畫~仙

一朝臥病無相識

三春行樂在誰邊

宛轉蛾眉能幾時

須臾鶴髪亂如絲

但看古來歌舞地

惟有黄昏鳥雀悲
洛陽らくよう じょう とう とう はな
きた って いえ にか つる
洛陽らくようじょ がん しょく しみ
くゆく らつ うて なが嘆息たんそく
今年こんねん はな ちて がん しょく あらた まり
みょうはな ひら いて また たれ
すでしょう はくくだ かれて たきぎ るを
さら桑田そうでんへん じて うみ るを
じん また らく じょうひがし
今人こんじん かえ って たいらつ かぜ
年年ねんねん 歳歳さいさい はな あい たり
歳歳 年年ねんねん ひと おな じからず
げん全盛ぜんせい紅顔こうがん
まさあわ れむべし はん 白頭はくとう おう
おう白頭はくとう しんあわ れむ
むかし 紅顔こうがん しょう ねん
こう 王孫おうそん 芳樹ほうじゅもと
せい みょう らつ まえ
光禄こうろく だい きん しゅうひら
しょう ぐん楼閣ろうかく 神仙しんせんえが
いつ ちょう やまい して あい るは
さん しゅん行楽こうらく たがへん にか
宛転えんてん たる 幾時いくとき
しゅ にして 鶴髪かくはつ みだ れて いとごと
ただ らい
ただ 黄昏こうこん ちょう じゃくかな しむ るのみ

洛陽の街の東に咲く桃や李の花は、飛び来たり飛び去りして、誰の家に散り落ちるのであろうか。
洛陽の娘達は容色の衰えるのを惜しみ、街を歩いていて花の散るのにあうと大きなため息をつくのである。
今年も花が散って春が過ぎる頃には、娘の容色も少し衰えを見せたが、明年また花が咲く頃に、誰が今のままでいられようか。
私は、墓場の松や柏でさえ切られて薪にされてしまったのを見た事が有る。また、昔の桑田がいつしか海に変わってしまったという話も聞いたことがある。
散る花を惜しんだ昔の人は、もう洛城の東には居ない。然し、今もまた花を散らす風の中に立っている人がある。来る年、来る年、花には変わりないが、行く年毎に人は変わって行く。
聞きたまえ、今若い盛りの少年達よ。
この半死の白髪頭のお年寄りには君達もきっと同情するに違いない。
このお年寄りの白髪頭には全く憐れむべきものがある。このお年寄りも昔は紅顔の美少年であったのだ。貴人の子弟達と芳樹の下で遊んだこともある。また花吹雪の下で美しい歌や舞を楽しんだこともある。漢の光禄太夫が池中に高殿を造り、錦のぬいとりを張りめぐらせた庭園や大将軍梁冀が造った内部に神仙の画を描かせたという豪華な館にも劣らない処で遊んだものである。
ところが、ある日病に臥してからは、一緒に遊んだ友も寄り付かなくなってしまった。春の行楽は一体誰の処に行ってしまったのか。若い娘の美しい眉もいつまでそのままでいられるであろうか。あっという間に白毛の乱れたお婆さんになるのだ。
昔から歌舞で賑わった処を見給え。今はただ、夕暮れどきに、小鳥達が悲しげに鳴くばかりではないか。