母の駕籠が行けば、私も行き、駕籠が止まれば、私も止まる。駕籠の中の母と路上の私との話は尽きない。
あれが何という山、これが何という川と、指し示してはお教えする。
ある時、草鞋の紐をしゃがんで直していると、母は早く行きましょうと声をおかけになる。私はそのまま 「はい」 と答えて母に追いつく。
この山陽道を十回も往復しているが、帰郷はいつも短い間なので、十分に孝養ができずにいた。それゆえ自分が白髪まじりになってから母の駕籠のお供をすることは少しも苦労にはならないのである。
私は山の中の宿場も川の渡し場も、皆故郷のような親しみが感じられ、また街道も通い慣れてはいるけれども、母にとっては初めての道である。母の目の行くほうに私の目はいつも向いている。
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