よる
白 楽天
中唐 (772 〜 846)

慈烏失其母

??吐哀音

晝夜不飛去

經年守故林

夜夜夜半啼

聞者爲沾襟

聲中如告訴

未盡反哺心
百鳥豈無母

爾獨哀怨深

應是母慈重

使爾悲不任

昔有呉起去

母歿喪不臨

哀哉若此輩

其心不如禽

慈烏復慈烏

鳥中之曾參

ははうしな い    として哀音あいおん
ちゅう らず     とし りんまも
はん き     もの ためえりうるお
せい ちゅう うっと うるがごと し  いまはん こころつく さざるを
ひゃく ちょう あに はは からんや   なんじ ひと哀怨あいえん ふか
まさはは おも く   なんじ をしてかな しみに えざらしむるなるべし
むかし り    はは 歿ぼつ してのぞ まず
かな しいかな かくごとはい    こころ とり にも かず
また          ちょう ちゅう そう しん なり


鳥は愛の心が深いといわれる。母鳥をなくしたこの烏が、悲しげな声で鳴いている。
昼も夜も飛び去ることなく、母鳥と過ごした古巣を守っている。子は母を慕って毎晩夜半に鳴き、あまりにも悲しい鳴き声に聞くものももらい泣きして衣の襟をぬらすほどである。
その悲しげな鳴き声は 「母鳥に養い育てられた恩返しに、今度は自分が母鳥を養わなければならなかったのに、孝行の何一つ尽くさないうちに亡くなってしまって・・・・・」 と訴えているかのようである。
すべての鳥に母鳥のないものがあるだろうか、それなのにお前だけが母を慕って悲しんでいる。思うに、なくなった母の慈愛は、ことのほか深かったのであろう。だからお前に、よそものも堪えきれないほど、こんなに悲しませるのだろう。
昔、兵法の大家で呉起というものが居た。呉起は若い頃、勉強の為に故郷を離れる時、母親に向かって 「宰相になるまで帰らない」 と誓って出ていった。曽参のもとで勉学中に母親が亡くなった時、その言葉のとおり葬儀にも帰らなかった為、師の曽参に遠ざけられてしまったということである。
この呉起のような人間が居るということは、大変に悲しいことであり、その心は鳥の心にも劣るというものである。
この曽参は春秋時代、孔子の弟子であった。この人は学徳が高かったばかりでなく、大変に孝心厚い人として有名なのである。
ああ、慈烏よ慈烏よ、お前は鳥ではあるが、お前の孝心の深いことは、鳥の中の曽参ともいうことができるだろう。