うた
岑 參
盛唐 (715 〜 770)

胡茄歌送顔眞卿使赴河隴
君不聞胡茄聲最悲

紫髯緑眼胡人吹

吹之一曲猶未了

愁殺樓蘭征戌兒

涼秋八月蕭關道

北風吹斷天山草

崑崙山南月欲斜

胡人向月吹胡茄

胡茄怨兮將送君

秦山遥望隴山雲

邊城夜夜多愁夢

向月胡茄誰喜聞
きみ かずや こえ もっとかな しきを   ぜん りょく がん じん
これ いていつ きょく なお いまおわ らず  しゅう さい楼蘭ろうらん 征戌せいじゅ
りょう しゅう 八月はちがつ しょう かんみち   北風ほくふう 吹断すいだん天山てんざんくさ
崑崙こんろん 山南さんなん つき ななめ ならんとほっ す   じん つきむか って
うらみ まさきみおく らんとす  秦山しんざん はるかのぞ隴山ろうざんくも
へん じょう しゅう おお し  つきむか って たれ くをよろこ ばん

君は、胡茄の音の、このうえもなく悲しい響きを聞いて知っているだろう。それは、赤ひげで青い目をした北方の異人が吹くのだ。
その音色の悲しさは、一曲を吹き終わらないうちに、遠く西域の楼蘭付近の守衛に当っている兵士達を、深い愁いに沈ませてしまうのである。
まして秋風のみにしむ八月 (旧暦) の頃、君は蕭関のあたりを通るだろうが、その頃そこはきた風が吹きまくって、ことさらに寒い天山山脈の草も吹きまくらんばかりだろう。
そのうえ、遥か彼方の崑崙山の南に月が落ちかかろうとする頃、えびすたちはその月に向かって胡茄を吹くことであろうが、それはまた一層に悲しい音である。
私は今、あの物悲しい胡茄の音色を思い浮かべながら彼の地へ旅立つ君を見送ろうとし、また、ここ長安の山々から、遥か隴山あたりに見える雲を眺めつつ、君の任務の重さと、これからのご苦労をしのぶ次第である。
今此処を発って、ひとたび彼の地に着けば、そこは辺境の城であり、今までのように語らい合う友もなく、夜毎に旅愁の夢を見ることが多いだろう。またそんな時に、あのえびすが月に向かって吹く胡茄の音には、とても堪えられない気持ちになることだろう。