群雄割拠、互いに覇を争った戦国時代の末は、人心頽廃の極に達し、道義空しく貞節の観念も失われ、幾多の人道上の罪悪が平然と行われていた。
あたかも、この時世に玉子夫人は生を受け、あらゆる逆境に屈せず、婦徳を高めるに信仰を以ってし、敢然として己が信ずる真理の道に生き抜いて周囲の人を感化したが、遂に徳川・豊臣の争いの犠牲となり従容として節に殉じ、
「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」
と詠じて三十六年の命を自ら断ち、その血は百鬼横行する大阪の土をくれないに染めたのである。
かくしてガラシャ玉子夫人は、時の如何なる権力にも屈せず、利にも惑わされず、立派に日本婦人の道を全うし、今に至るまで、あっぱれ婦人の鏡と仰がれているのである。
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