しずか ぜん
頼 山陽
安永九 (1780) 〜 天保三 (1832)
工藤銅拍秩父鼓

幕中擧酒觀汝舞

しずやしず
   しずのおだまき
        くりかえし
むかしをいまに
     なすよしもがな


一尺之布猶可縫

况是繰車百尺縷

囘波不囘阿哥心

南山之雪終古深
どうどう ひょう ちち つづみ   ばく ちゅう さけ げてなんじまい
しずやしず  しずのおだまき くりかえし
むかしをいまに  なすよしもがな

いっ しゃくぬのなお ぬう し  いわ んや繰車そうしゃ 百尺ひゃくしゃくいと
かい めぐ らず こころ   南山なんざんゆき 終古とこしなえ深しふか

弟義経の愛人靜を捕らえた頼朝は、鶴岡八幡宮社前において、妻の政子を伴い、家中を集めて酒宴を催し、白拍子として名の高かった靜に舞を所望した。
靜はやむなく舞を舞ったが、これに興を添えたのは工藤裕経の銅拍子と畠山重忠の鼓である。
靜は
  「芳野山 峰の白雪 ふみわけて 入りにし人の あとぞ恋しき」
  「しづやしづ しづのをだまき くりかへし 昔を今に なすよしもがな」

と歌いながら衣の袖を翻して舞った。
靜の義経に対する思慕の情に頼朝は怒ったが政子がなだめた。
昔漢の文帝のとき、准南王が謀反して亡びた際に
「一尺の布なお縫うべし、一斗の栗なお舂くべし、兄弟二人あい容れず」
という民謡が流行した。
一尺の布でさえも縫うことが出来るというに、靜の百尺のおだまきを昔にかえすことが出来ないのは何としたことであろうか。
すでに兄頼朝の心は義経を許すことが出来ない。かくて義経と靜の怨みは吉野山の雪と同じように永久に深いことであろう。