ははおく じょうたん
頼 山陽
安永九 (1780)〜天保三 (1832)
東風迎母來

北風送母還

來時芳菲路

忽爲霜雪寒

聞鶏即裹足

侍輿足槃跚

不言兒足疲

唯計母輿安

獻母一杯兒亦飲

初陽滿店霜已乾

五十兒有七十母

此福人間得應難

南去北來人如織

誰人如我兒母歡
東風とうふうははむか えて たり  北風ほくふうははおく りてかえ
きたときほう みち   たちま霜雪そうせつかん
にわとり いてすなわあしつつ み  輿こし してあし 槃跚はんさん たり
あしつか るるを わず  ただ はは輿こしやす らかならんことをはか
はは一杯いっぱいけん じてまた む  初陽しょよう てん ちてしも すでかわ
じゅう しち じゅうはは り  ふく 人間にんげん ることまさかた かるべし
南去なんきょ 北来ほくらい ひと るがごと く  誰人だれひと よろこ びに かんや

風薫る春に、母を迎えて京都の寓居に来たり、北風すさび今、母を送って広島に帰る。
来る時は路々花咲き草萌える好時節であったが、帰る今は、わずかの間に霜や雪の降る寒空となってしまっている。
朝、鶏の鳴く声を聞いて足ごしらえをし、よろめく足で母の輿に従う。
だが踏み煩う自分の足のことなどよりも、ただ母の輿の安全を願うばかりである。
茶店で一休みする母に一杯差し上げて、自分もまたお相伴をする。
朝日が店一杯差し込んで、路に降りた霜もすでに乾き始める。
五十歳の子供と、まだまだ達者な七十の母とが一緒に旅をしている。こんな幸福は世間でも得られることは大変に珍しいことで、今は嬉しさでいっぱいである。
ここ山陽道は往来する人で大変賑わっているが、はたして誰がわれわれ親子のような喜びにひたっているであろうか。