かの人之の四十九日、忍びて比叡 (ヒエ) の法華堂
(ホケドウ) にて、事そがず、装束 (ソウゾク)
よりはじめて、さるべきものども、こまかに、誦経 (ズキョウ)
などせさせたまふ。
経、仏の飾りまでおろかならず、惟光が兄の阿闍利 (アザリ)
、いとたふとき人にて、二なうしけり。
御書 (フミ) の師にてむつましくおぼす文章博士
(モンザウハカセ) 召して、願文 (グァンモン)
作らせたまふ。
その人となくて、あはれと思ひし人のはかなきさまになりたるを、阿弥陀仏
(アミダホトケ) にゆづりきこゆるよし、あはれげに書きいでたまへれば、 「ただかくながら、加ふべきことはべらざめり」
と申す。忍びたまへど、御涙こぼれて、いみじくおぼしたれば、
「何人ならむ。その人と聞こえもなくて、 かうおぼし嘆かすばかりなりけむ宿世の高さ」
と言ひけり。
忍びて調ぜさせたまひける装束の袴を取り寄せさせたまひて
|
泣く泣くも 今日はわが結 (ユ) ふ
下紐 (シタヒモ) を いづれの世にか
とけて見るべき |
|
このほどまではただよふなるを、いづれの道にさだめておもむくらむ、と思ほしやりつつ、念誦 (ネンズ)
をいとあはれにしたまふ。
頭の中将を見たまふにも、あいなく胸騒ぎて、かの撫子 (ナデシコ)
の生 (オ) ひたつありさま、聞かせまほしけれど、かことに懼ぢてうちいでたまはず。かの夕顔の宿りには、いづかたにと思ひまどへど、そのままにえ尋ねきこえず、右近だにおとづれねば、あやしと思ひ嘆きあへり。
たしかならねど、けはひをさばかりにやと、ささめきしかば、惟光をかこちけれど、いとかけ離れ、けしきなく言ひなして、なほ同じごと好きありきければ、いとど夢のここちして、もし受領の子どもの好き好きしが、頭の中将に懼
(オ) ぢきこえて、やがて、率 (イ)
て下りにけるにやとぞ、思ひ寄りける。
この家のあるじぞ、西の京の乳母の女 (ムスメ) なりける。三人その子ありて、右近は異人
(コトビト) なりければ、思ひ隔てて御ありさまを聞かせぬなりけりと、泣きひけり。右近はた、かしかましく言ひ騒がれむを思ひて、君も今さら漏らさじと忍びたまへば若君の上をだにも聞かず、あさましく行方
(ユクエ) なくて過ぎゆく。
君は、夢をだに見ばやと、おぼしわたるに、この法事したまひてまたの夜、ほのかに、かのありし院ながら、添ひたりし女のさまも同じやうにて見えければ、荒れたりし所に住みけむものの、われに見入れけむたよりに、かくなりぬることと、おぼしいづるもゆゆしくなむ。
|
(口語訳・瀬戸内
寂聴) |
あの夕顔の君の四十九日の忌日になりました。法要は密かに比叡山の法華堂で行いました。万事手を抜かず、僧の布施の装束からはじめて、法事に必要なものは手落ち泣く用意されました。誦経の布施なども心をこめておさせになりました。経本や仏前の飾りまでおろそかにはなさらず、こまやかにお気を配られました。惟光の兄の阿闍利が、たいそう高徳の僧なので、またとなく立派に導師をつとめました。
学問の師匠で親しくしていらっしゃる文章博士 (モンジョウハカセ)
を召して願文 (ガンモン) をお作らせになります。誰と名前は明かさず、愛した女が亡くなってしまったので、阿弥陀仏に女の後生をお任せ申し上げるという主旨の草稿を、源氏の君がしみじみと哀切にお書上げになりますと、文章博士は、
「すっかりこのままの文章で結構でございます。わたしの手を加えるところなどは一字もございません」
と申し上げます。こらえていらっしゃったけれど、お涙もこぼされて、たいそう悲しそうにしていらっしゃいますので、
「一体、どういうお方だったのだろう。そういう方が亡くなったと噂も聞かないのに、これほど深く源氏の君を悲しませ泣かせるほど愛されたとは、なんという幸運な宿世の方よ」
と言うのでした。
ひそかに作らせておかれた女の衣装の袴を取り寄せて、
|
「泣く泣くも
今日はわが結ふ下紐 (シタヒモ)
を いづれの世にか とけて見るべき」 |
(泣く泣くひとりで結ぶ
今日の袴の下紐を いつになればあの夜で あなたと共に解き 愛しあえるのか) |
|
四十九日までは亡き人の魂は中有の
(チュウウ) の空にさ迷っているというけれど、魂は今、六道のどの道を行くと決められたのだろうかと、いろいろお思いになりながら、誦経を心をこめてなさるのでした。
源氏の君はその後、頭の中将にお会いになっても、思わずわけもなく胸が騒いで、あの撫子の育っている様子を、教えてあげたくなるのですけれど、そうするとかえって頭の中将から苦情をいわれることが恐ろしくて、お話にはならないのでした。
あの五条の夕顔の家では、いったい女君はどこへ行っておしまいになったのかと困惑しきっておりましたが、あれ以来、何の手がかりもなく、お捜しすることも出来ずにおります。あの右近さえあれっきり何の音沙汰もないので、不思議なこともあるものだと心配し嘆きあっているのでした。
通っておられたおかたは、たしかにそうとは決めかねるけれど、もしかしたら源氏の君ではないだろうかと、内々お噂したこともありますので、手引きした惟光に、ぐちをこぼしてみましたけれど、
「とんでもない、そんなことは知らない」
とはっきり言いきって、相変わらず同じように浮かれ歩いておりますので、ますますすべてが夢のような気がします。もしかすると、受領の息子で好色な者がこっそり通っていて、頭の中将を恐がって、あの明け方、女君を連れ出してそのまま任国へ伴って下向してしまったのではないだろうかなど、想像をめぐらせるのでした。
この五条の家の持ち主は、西の京の乳母の娘でした。乳母には三人の子があって、右近だけ別の乳母子なので、分け隔てにして、女君の御様子を知らせてくれないのだと恨んでは、泣いて恋しがるのでした。
右近の方はまた、口やかましくみんなから非難されるのが恐ろしくて、源氏の君も、あの方のことは他へ漏らしてはならないと、秘密になさっていらっしゃるので、幼い姫君のことを乳母に聞くことも出来ず、まったく行方不明のままで、むなしく日が過ぎていくばかりでした。
あの夕顔の女にせめて夢にでも逢いたいものだと、源氏の君が思いつづけていらっしゃいますと、この四十九日の法要をなさった明くる夜のことです。
あの時の某 (ナニガシ) の院そのままの光景の中に、枕上に立ったあの女の姿までがそっくりそのまま、朦朧と夢の中にあらわれました。それであんな荒れはてたところに住みついた魔性の物の怪が、自分の美しさに魅入られ、そのまきぞえに、あの夕顔の女にとり憑いて、こんなことになったのだろうと思い出されるのも、気味の悪いことでございました。
|
|
新調日本古典集成 『源氏物語
(一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ |
|