〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/06/05 (木) 夕 顔 (三十一)

伊予の介、神無月 (カムナヅキ) の朔日 (ツイタチ) ごろに下る。女房の下らむにて、たむけ心ことにせさせたまふ。また内々 (ウチウチ) にも、わざとしたまひて、こまやかに、をかしきさまなる櫛 (クシ) 、扇多くして、幣 (ヌキ) などわざとがましくて、かの小袿 (コウチキ) もつかはす。

逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の 朽ちにけるかな
こまかなることどもあれど、うるさければ書かず。御使、帰りにけれど、小君して、小袿の御返りばかりは聞こえさせたり。
蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かりけり
思へど、あやしう人に似ぬ心強さにてもふり離れぬるかなと、思ひ続けたまふ。今日ぞ冬立つ日なりけるもしるく、うちしぐれて、空のけしきいとあはれなり。ながめ暮らしたまひて、
過ぎにしも けふ別るるも 二道に ゆくかた知らぬ 秋の暮かな
なほかく人知れぬことは苦しかりかりと、おぼし知りぬらむかし。
かようのくだくだしきことは、あながちに隠ろへ忍びたまひしもいとほしくて、みな漏らしとどめたるを、など帝の御子ならむからに、見む人さへかたほならず、ものほめがちなること、作りごとめきてとりなす人ものしたまひければなむ。あまりもの言ひさがなき罪、さりどころなく。
(口語訳・瀬戸内 寂聴)

伊予の介は、十月の一日ごろ、任地に下って行きます。女房たちも一緒に下るのだろうと、源氏の君は餞別にとりわけお気を配っておかれました。それとは別にこっそり特別に空蝉の女に贈り物をなさいました。細工のこまやかな美しい櫛や扇などをたくさん、また道中の神に捧げる幣 (ヌサ) なども、特別に作らせたのが分かる華やかなものなど、それと一緒に、あの思い出の空蝉の小袿も添えて贈っておやりになりました。

「逢ふまでの 形見ばかりと 見しほどに ひたすら袖の 朽ちにけるかな」
(またお逢いするまでの あなたの形見だと思い 眺め暮らしていた間に わたしの涙でこの袖も ひたすら朽ちてしまって)
お手紙には、まだいろいろこまやかなお言葉がありましたが、わずらわしいから書きません。
源氏の君のお使いはそのまま帰りましたけれど、空蝉の女君からは小君を使いにして、小袿の御返歌だけを申し上げました。
「蝉の羽も たちかへてける 夏衣 かへすを見ても ねは泣かりけり」
(蝉の羽のような夏衣を 冬の衣に脱ぎ更えた 今頃になって返され 思い出の数々がよみがえり 声を放って泣くばかり)
どう考えてみても、ほかの女に見られない異様なほどの心強さで、ふり切ってしまった人だったと、源氏の君は思いつづけていらっしゃいます。終日もの思いに沈み暮らされて、
「過ぎにしも けふ別るるも 二道に ゆくかた知らぬ 秋の暮かな」
(亡くなった女も 今日別れ去る女も 行く道はそれぞれに その行方知れない 淋しい秋の暮れかたよ)
やはり、こういう秘密の忍ぶ恋は、何かにつけ苦しいものだったと、御自身のお心に、しみじみおさとりになられたことでございましょう。
このようなくどくどしい話は、源氏の君がつとめて秘し隠していらっしゃったのもお気の毒なので、これまですべてをお話するのは控えておりましたのですけれど、
「いくら帝のお子だからといって、それをすべて知っている者までが、まるで傷ひとつないようにほめてばかりいるのはおかしい」
と、この物語をいかにも作り事のようにおっしゃる方もおありでしたから、仕方なくありのままに語ってしまいました。あまり口さがないとのお咎めは、まぬがれないことでございましょうけれど。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ