九月二十日のほどにぞ、おこたり果てたまひて、いといたく面痩 (オモヤ)
せたまへれど、なかなかいみじくなまめかしくして、ながめがちにねをのみ泣きたまふ。
見たてまつりとがむる人もありて、御もののけなめり、など言ひもあり。
右近を召しいでて、のどかなる夕暮に、物語などしたまひて、
なほいとなむあやしき。などてその人と知られじとは、隠 (カク)
いたまへりしぞ。まことに海士 (アマ) の子なりとも、さばかりに思ふを知らで隔てたまひしかばなむ、つらかりし」
とにたまへば、
などてか、深く隠しきこえたまふことはべらむ。いつのほどにてかは、何ならぬ御名のりを聞こえたまはむ。はじめより、あやしうおぼえぬさまなりし御ことなれば、うつつともおぼえずなむある、とのたまひて、御名がくしも、さばかりにこそは、と聞こえたまひながら、なほざりにこそまぎらはしたまふらめ、となむ、憂
(ウ) きこことにおぼしたりし」 と聞こゆれば、
「 あいなかりける心くらべどもかな。われは、しか隔つる心もなかりき。ただ、かやうに人にゆるされぬふるまひをなむ、まだならはぬことなる。内裏にいさめのたまはするをはじめ、つつむこと多かる身にて、はかなく人にはぶれごとを言ふも、所狭
(セ) う、とりなしうるさき身のありさまになむあるを、はかなかりし夕
(ユフベ) より、あやしう心にかかりて、あながちに見たてまつりしも、かかるべき契りこそはものしたまひけめと思ふも、あはれになむ、またうち返しつらうおぼゆる。
かう長かるまじきにては、など、さしも心に染みて、あはれにおぼえたまひけむ。なほくはしく語れ。今は何ごとを隠すべきぞ。七日七日に仏かかせても、誰が為とか、心のうちにも思はむ」
とのたまへば、
「何か、隔てきこえさせはべらむ。みづから忍びすぐしたまひしことを、亡き御うしろに、口さがなくやは、と思うたまふばかりになむ。親たちは、はや亡
(ウ) せたまひにき 。三位の中将となむ聞こえし。いとらうたきものに思ひきこえたまへりしかど、わが身のほどの心もとなさをおぼしめりしに、命さへ堪へたまはずなりにしのち、はかなきもののたよりにて、頭の中将なむ、まだ少将にものしたまひし時、見そめたてまつらせたまひて、三年
(ミトセ) ばかりは志あるさまに通ひたまひしを、去年
(コゾ) の秋ごろ、かの右の大殿より、いと恐ろしきことの聞こえ参
(マ) で来 (キ)
しに、物懼 (モノオジ) をわりなくしたまひし御心に、せむかたなくおぼし懼
(オ) じて、西の京に、御乳母住みわびたまひて、山里にうつろひなむとおぼしたりそを、今年よりは塞
(フタ) がりけるかたにはべりければ、違
(タガ) ふとて、あやしき所にものしたまひしを、見あらはされたてまつりぬることと、おぼしく嘆くめりし。
世の人に似ずものづつみをしたまひて、人にもの思ふけしきを見えむを、はづかしきものにしたまひて、つれなくのみもてなして、御覧ぜられたてまつりたまふめりかし」
と、語りいづるに、さればよ、とおぼしあはせて、いよいよあはれまさりぬ。
「をさなき人まどはしたりと、中将のうれへしは、さる人や」 と問ひたまふ。
「しか、一昨年 (ヲトトシ) の春ぞ、ものしたまへりし。女にて、いとらうたげになむ」
と語る。
「さて何処 (イズク) にぞ。人にさとは知らせで、われに得させよ。あとはかなく、いみじと思ふ御かたみに、いとうれしかるべくなむ」
とのたまふ。
「かの中将にも伝ふべけれど、いふかひなきかこと負ひなむ。とざまかうざまにつけて、はぐくむに咎
(トガ) あるまじきを、そのあらむ乳母などにも、ことざまに言ひなしてものせよかし」
などかたらひたまふ。
「さらばいとうれしくなむはべるべき。かの西の京にて生 (オ)
ひいでたまはむは、心苦しくなむ。はかばかしくあつかふ人なしとて、かしこになむ」 と聞こゆ。
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