〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/30 (金) 夕 顔 (二十六)

苦しき御ここちにも、かの右近を召し寄せて、局など近くたまひてさぶらはせたまふ。惟光、ここちも騒ぎまどへど、思ひのどめて、この人のたつきなしと思ひたるを、もてなし助けつつさぶらはす。
君は、いささか隙ありておぼさるる時は、召し出でて使ひなどすれば、ほどなくまじらひつきたり。服いと黒うして、容貌などよからねど、かたはに見苦しからぬ若人 (ワカウド) なり。
「あやしうみじかかりける御契りにひかされて、われも世にえあるまじきなめり。年ごろの頼み失ひて、心細く思ふなぐさめにも、もしながらへば、よろづにはぐくまむとこそ思ひしか、ほどもなくまたたち添ひぬべきか、くちをしくもあるべきかな」
と、忍びやかにのたまひて、弱げに亡きたまへば、いうかひなきことをばおきて、いみじく惜しと思ひきこゆ。
殿のうちの人、足を空にて思ひまどふ。内裏より、御使、雨の脚よりもけにしげし。おぼしき嘆きおはしますを聞きたまふに、いとかたじけなくて、せめて強くおぼしなる。大殿 (オホイトノ) も経営 (ケイメイ) したまひて、大臣 (オトド) 日々にわたりたまひつつ、さまざまのことをせさせたまふしるしにや、二十余日いと重くわづらひたまひつれど、ことなる名残 (ナゴリ) のこらず、おこたるさまに見えたまふ。
穢らひ忌みたまひしも、ひとつに満ちぬる夜なれば、おぼつかながらせたまふ御心わりなくて、内裏の御宿直所に参りたまひなどす。
大殿、わが御車にて迎へたてまつりたまひて、御物忌 (モノイミ) なにやと、むつかしうつつしませたてまつりたまふ。われにもあらず、あらぬ世によみがへりたるやうに、しばしおぼへたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

そんな重い病気の中にも、源氏の君は、あの右近をお側にお呼びになり、部屋なども御自分の御座所近くにお与えになりお仕えさせております。
惟光は気も動転していますけど、強い心を落ち着けて、女主人を失った右近が心細そうにしているのを、何くれとなく面倒を見て、御奉公が出きりよう励ましているのでした。
源氏の君は少しでもご気分のよい時には、右近をお側に呼び寄せられて、ご用をおさせになりますので、右近も程なく他の女房たちにも馴染み住みつくようになりました。色の濃い喪服を着て、器量などはよいとは言えませんけれど、これといって特に見苦しくもない若い女房でした。
「考えられないほど短かった二人の恋の縁に引かれて、わたしももう生きていられそうもない。お前は長年頼りにしていた主人を失って、さぞ心細いことだろうから、もしもわたしに寿命があれば、すっかり世話をして慰めてあげようと思っていたのに、まもなく、わたしもあの人の跡を追って行きそうなので、心残りなことだ」
とひっそりおっしゃって、弱々しくお泣きになります。右近は今さら嘆いても仕方のない夕顔の女君ことはさて置いて、もしもこの上、源氏の君までお亡くなりになったりすれば、どんなにもったいないことかと、心からお案じ申し上げるのでした。
二条の院のうちの人々は、御病気の重さに脚を宙にしてあわてふためき、すっかり度を失っています。
宮中からの御使いは雨脚よりもいっそう頻繁になっています。帝がたいそう御心痛遊ばしお嘆きの御様子だとお耳になさるにつけても、源氏の君はまありにももったいなくて、無理にもお元気になろうと努力なさいます。
左大臣もできる限りお世話に奔走なさり、毎日二条の院のお出かけになっては、様々の御介抱をつくされました。その甲斐があったのでしょうか、二十日余りも、たいそう重態でお患いでしたが、これといって余病も残さず、次第にご快方にむかわれるようになりました。
たまたま快くなられた日と、穢れを慎んでいらっしゃった三十日の忌み明けが重なりましたので、その夜、御心配遊ばしている帝のお心も畏れ多いので、源氏の君は久々に、宮中の宿直所へ参内なさいました。
ご退出の時は、左大臣が、御自分のお車で宮中へ迎えにいらっしゃって、源氏の君を左大臣邸へおつれしました。病後の御物忌みのことや何やかやと、うるさいほど厳重に御謹慎をおさせになります。御当人はまだぼうっと夢のようなお気持ちで、しばらくの間は別世界に生き返ったかのようにお思いになります。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ