〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/30 (金) 夕 顔 (二十五)

道いと露けきに、いとどしき朝霧に、何処ともなくまどふここちしたまふ。
ありしながらうち臥したるつるさま、うちかはしたまへりしわが御紅 (クレナイ) の御衣 (ゾ) の着られたりつるなど、いかなりけむ契りにかと道すがらおぼさるる。
御馬にも、はかばかしく乗りたまふまじき御さまなれば、また惟光添ひ助けておはしまさするに、堤のほどにて馬よりすべりおりて、いみじく御ここちまどひければ、
「かかる道の空にて、はふれぬべきにやあらむ。さらにえ行き着くまじきここちなむする」
とのたまふに、惟光こころちどひて、わがはかばかしくは、さのたまふとも、かかる道に率 (ヰ)て出でたてまつるべきかは、と思ふに、いと心あわたたしければ、川の水に手を洗ひて、清水の (キヨミズ) 観音 (カンノン) を念じたてまつりても、すべなく思ひまどふ。
君もしひて御心をおこして、心のうちに仏を念じたまひて、またとかく助けられたまひてなむ、二条の院へ帰りたまひける。
あやしう夜深き御ありきを、人々、
「見苦しきわざかな、このころ、例よりも静心 (シズココロ) なき御忍びありきの頻 (シキ) るなかにも、昨日の御けしきのいとなやましうおぼしたりしに、いかでかくたどりありきたまふらむ」 と嘆きあへり。
まことに臥したまひぬるままに、いといたく苦しがりたまひて、二三日になりぬるに、むげに弱るやうにしたまふ。内裏にも、きこしめし嘆くこと限りなし。
御祈り、かたがたに隙 (ヒマ) なくののしる。祭 (マツリ) 、祓 (ハラヘ) 、修法 (ズホウ) など、言ひつくすべくもあらず。世にたぐひなくゆゆしき御ありさまなれば、世に長くおはしますまじきにやと、天の下の人の騒ぎなり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

お帰りの道すがら、道の辺の草に露がしとどに置き、おびただしい朝霧がたち込めて、涙とともに視界をかき消し、どことも知れぬ無明の闇をさ迷っているようなお気持ちがなさいます。
生前の姿のまま、横たわっていた亡き人の俤 (オモカゲ) や、昨夜お互いに交換しあったご自分の紅のお召し物が、亡骸に着せ掛けてあった様子などを思い出されては、どうした前世の因縁でこうなったのだろうと、道々ずっとお考えになるのでした。
お馬のも堂々とお乗りになれないほど弱りきった御様子なので、お帰りもまた、惟光が付き添い、お助けしながらお供して行きます。
賀茂川の堤のあたりで、とうとう馬からすべり落ちて、耐え難く御気分がお悪くなられました。
「こんな道端で、死んでしまうのだろうか、もう二条の院にもたどりつけないような気がする」
と、おっしゃいますので、惟光も気持ちが動転してしまいました。自分がしっかりしていたら、どんなにおっしゃろうが、あんなところへお連れもうすのではなかったのだと後悔すると、ひどく心がそわそわして落ち着かないので、賀茂川の水で手を洗い清めて、清水の観音様をお祈りしましても、どうしていいか一向にわからず、途方にくされきっています。
源氏の君も、強いて気持ちを奮い立たせて、心中に仏を祈念なさいます。何とか惟光に助けられて、ようやく、二条の院にたどり着かれたのでした。
源氏の君の、こうした不審な夜な夜なのお出歩きを、女房たちは、
「みっともないことを遊ばしましましわね。この頃は、いつもよりそわそわなさって、落ち着きのないお忍び歩きばかりがつづいていたっしゃいます。特に昨日などの御様子は、とてもご気分が悪そうにお見受けしましたのに、どうしてこんなに、毎晩ふらふらお出かけなさるのかしら」
と、嘆き合っています。
源氏の君は、横になられるとそのままほんとうに寝ついておしまいになり、たいそう苦しがられて、二、三 日たつと、いよいよ衰弱がひどくなられるようでした。
帝も、その御様子をお聞きになり、この上もなくご心痛遊ばされました。御病気平癒の御祈祷を、あちらでも、こちらでも、絶え間なくして大騒ぎしています。陰陽師の行う神の祭りや祓、仏教の加持祈祷など、ありとあらゆる御祈祷がされ、その盛大な様子は言葉では語り尽くせません。
源氏の君は世に類希な妖しいほどのお美しさでいらっしゃるので、もしかしたら長生きなさらないのではまいかと、天下の人々がこぞって心配して、大変な騒ぎとなりました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ