入りたまへれば火取りそむけて、右近は屏風隔てて臥したり。
いかにわびしからむと、見たまふ。恐ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか変りたるところなし。
手をとらへて、
「われ今一度声をだに聞かせたまへ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに、心をつくしてあはれに思へしを、うち捨ててまどはしたまふか、いみじきこと」
と、声も惜しまず泣きたまふこと限りなし。
大徳 (ダイトコ) たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、皆涙おとしけり。
右近を、 「いざ二条へ」 とのたまへど、
「年頃、をさなくはべりしより、片時たち離れたてまつらず馴れきこえつる人に、にはかに別れたてまつりて、何処にか帰りはべらむ。いかになりたまひにきとか人にも言ひはべらむ。悲しきことをばさるものにて、人に言ひ騒がれはべらむが、いみじきこと」
と言ひて、泣きまどひて、
「煙 (ケブリ) にたぐひて、したひ参りなむ」
と言ふ。
「道理 (コトワリ) なれど、さなむ世の中はある。別れといふものの悲しからぬはなし。とあるもかかるも、同じ命の限りあるものになむある。思ひなぐさめて、われを頼め」
とのたまひこしらへても、
「かく言ふわが身こそは、生きとまるまじきここちすれ」 とのたまふも、たのもしげなしや。
惟光、 「夜は明方になりはべりぬらむ。はや帰らせたまひなむ」 と聞こゆれば、かへりみのみせられて、胸もつと塞
(フタ) がりて出でたまふ。
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