〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/29 (木) 夕 顔 (二十四)

入りたまへれば火取りそむけて、右近は屏風隔てて臥したり。
いかにわびしからむと、見たまふ。恐ろしきけもおぼえず、いとらうたげなるさまして、まだいささか変りたるところなし。
手をとらへて、
「われ今一度声をだに聞かせたまへ。いかなる昔の契りにかありけむ、しばしのほどに、心をつくしてあはれに思へしを、うち捨ててまどはしたまふか、いみじきこと」
と、声も惜しまず泣きたまふこと限りなし。
大徳 (ダイトコ) たちも、誰とは知らぬに、あやしと思ひて、皆涙おとしけり。
右近を、 「いざ二条へ」 とのたまへど、
「年頃、をさなくはべりしより、片時たち離れたてまつらず馴れきこえつる人に、にはかに別れたてまつりて、何処にか帰りはべらむ。いかになりたまひにきとか人にも言ひはべらむ。悲しきことをばさるものにて、人に言ひ騒がれはべらむが、いみじきこと」
と言ひて、泣きまどひて、
「煙 (ケブリ) にたぐひて、したひ参りなむ」 と言ふ。
「道理 (コトワリ) なれど、さなむ世の中はある。別れといふものの悲しからぬはなし。とあるもかかるも、同じ命の限りあるものになむある。思ひなぐさめて、われを頼め」
とのたまひこしらへても、
「かく言ふわが身こそは、生きとまるまじきここちすれ」 とのたまふも、たのもしげなしや。
惟光、 「夜は明方になりはべりぬらむ。はや帰らせたまひなむ」 と聞こゆれば、かへりみのみせられて、胸もつと塞 (フタ) がりて出でたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

板葺きの家にお入りになりますと、燈火を壁に向けて亡骸からそむけておいてあり、右近は亡骸と屏風一枚を隔ててうつ伏していました。どんなに辛いだろうと、源氏の君はそんな右近をご覧になるのでした。
亡骸は一向に恐ろしい感じもせず、ほんとうに可愛らしい様子で、まだ生前のお姿と全く変化が認められません。
源氏の君は亡骸の手をお取りになり、
「わたしにもう一度、せめて声だけでも聞かせておくれ、どういう前世の因縁だったのか、あんな短い間に、心の限りをつくして愛しあったのに、そんなわたしをうち捨てて逝ってしまい、こんなに悲しい目に遭わせ、心を迷わさせるなんて、ひどい」
と、声も惜しまず、限りなくお泣きになるのでした。
僧侶たちも、源氏の君をどなたとは知らないまま、不思議に思って、その御悲嘆ぶりにつりこまれて皆涙をおとしています。
源氏の君は右近に、
「さあ、一緒に二条の院へ行こう」
とおっしゃいましたが、
「長年、幼かった時から、片時もお側を離れずにお仕えいたしましたお方に、急にお別れいたしまして、今更、どこへ帰っていけましょう。またお亡くなりになったいきさつを、どう人に話せばよろしいのでしょう。自分の悲しいことはともかくとして、わたしがおつきしていてどうしたのかと、五条の家の人たちに、とやかく取り沙汰されるのが辛うございます」
と申し上げて、生気も失いそうに泣きつづけ、
「火葬の煙にまじって、私もお跡を追います」
と言います。
「お前のそう嘆くのももっともだけれど、この世は、こんなふうに無情なものなのだ。別れというものはすべて悲しいものなのだ。先に死ぬのも、あとに残るのも、誰も同じ命で、いつかは限りあるものなのだ。なんとか悲しみをまぎらして、わたしを頼りにするがいい」
と、お慰めになりながらも、すぐ、
「そういうわたし自身こそ、ほんとうに生き残っていられそうもない気がする」
とおっしゃいますのも、何とも頼りないことでございます。惟光が、
「夜が明けそうになりました。早くお帰りにならなくては」
と申し上げますと、源氏の君は、ふりかえり、ふりかえりなさりながら、お胸もいっぱいに塞がったまま、お発ちになったのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ