〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/28 (水) 夕 顔 (二十三)

「さらに事なくしなせ」 と、そのほどの作法のたまへど、
「何か、ことことしくすべきにもはべらず」 とて立つが、いと悲しくおぼさるれば、
「便なしと思うふべけれど、今一度 (ヒトタビ) かの屍骸を見ざらむが、いといぶせかるべきを、馬にてものせむ」
とのたまふを、いとたいだいしきことと思へど、
「さおぼされむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜ふけぬ先に帰らせおはしませ」
と申せば、このころの御やつれにまうけたまへる、狩りの御装束着かへなどして出でたまふ。御ここちかきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、あやふかりし物懲 (モノゴリ) に、いかにせむとおぼしわづらへど、なほ悲しさのやるかたなく、ただ今の骸 (カラ) を見では、またいつの世にかありし容貌をも見むと、おぼし念じて、例の大夫 (タイフ) 、随身 (ズイシン) を具して出でたまふ。
道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆 (サキ) の火もほのかなるに、鳥部野 (トリベノ) の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえtまはず、かき乱るここちもしたまひて、おはし着きぬ。
あたりさへすごきに、板屋 (イタヤ) のかたはらに堂建てて行へる尼の住ひ、いとあはれなり。御燈明 (ミアカシ) のかげ、ほのかに透 (ス) きて見ゆ。
そに屋には、女一人泣く声のみして、外 (ト) のかたに、法師ばら二三人物語りしつつ、わざとの声たてぬ念仏ぞする。
寺々の初夜 (ソヤ) もみな行ひ果てて、いとしめやかなり。清水 (キヨミズ) のかたぞ、光多く見え、人のけはひもしげかりける。
この尼君の子なる大徳の、声尊くて経うち誦みたるに、涙の残りなくおぼさる。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

「この上にも、手抜かりのないよう、うまくやってくれ」
と、源氏の君は葬式の作法についてもいろいろおっしゃいますが、惟光は、
「いや、この際、そんなに大げさにしない方がよろしいでしょう」
と言って立って行こうとします。源氏の君にはたまらなく悲しくなられて、
「そんなことはよくないと思うだろうが、もう一度、あの人の亡骸を見ないでは、心残りでたまらないから、馬で行ってみよう」
と仰せになります。惟光は、とんでもない軽率なことよと思いますけれど、
「そうまで思いつめていらっしゃるなら、仕方がございません。それでは今から早くお出かけになって、夜の更けぬうちに、お帰りなさいませ」
と申し上げました。この頃のお忍び歩きのためにお作りになった狩衣に、お着替えなどなさって、お出かけになりました。
お心もかき乱され暗澹として、とても耐え難いので、こんな途方もない目的のためお出かけになってみたものの、昨夜の危ないご経験に、すっかり懲りていらっしゃいますので、どうしようかと一方では、お迷いになっていらっしゃいます。それでもやはりこのままでは、悲しみの遣り場もなく、火葬にする前の亡骸を一目見ておかないでは、いつまた、この世に生きていた日のままのあの女の姿に逢うことが出来ようかと、悲しさに耐えながら、いつものお供の惟光や、随身をおつれになってお出かけになりました。
夜道もたいそう遠くお感じになります。
十七日の月がさし昇った頃、賀茂の川原のあたりにさしかかられましたが、お先払いの松明の火もかすかになり、鳥辺野の方などを見渡された時などは、いつもなら何となく気味が悪いのに、今夜だけは怖いともお感じになりません。千々にかき乱されたお心のままお着きになりました。
このあたりは、もともと不気味なところの上、板葺の家の傍らに堂を建てて、勤行している尼の住まいは、いっそうもの淋しいのでした。
お燈明の光が、戸の隙間からほのかに透けて見えます。家の中には女の人がひとり泣いている声ばかりが聞こえます。外には、法師たちが二、三 人、時々話をしながら、わざと声を殺し、特に功徳があるという無言念仏を称えています。
近くの寺々の初夜の勤行もみな終わってしまって、あたりはたいそうひっそりと静かです。
清水寺の方角に、灯の光が多く見え、人も大勢いる様子でした。
この尼君の息子の僧が、尊い声でお経を誦みあげているのをおききになると、源氏の君は涙も涸れはてるかと思われるほどお泣きになるのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ