「さらに事なくしなせ」 と、そのほどの作法のたまへど、
「何か、ことことしくすべきにもはべらず」 とて立つが、いと悲しくおぼさるれば、
「便なしと思うふべけれど、今一度 (ヒトタビ)
かの屍骸を見ざらむが、いといぶせかるべきを、馬にてものせむ」
とのたまふを、いとたいだいしきことと思へど、
「さおぼされむは、いかがせむ。はや、おはしまして、夜ふけぬ先に帰らせおはしませ」
と申せば、このころの御やつれにまうけたまへる、狩りの御装束着かへなどして出でたまふ。御ここちかきくらし、いみじく堪へがたければ、かくあやしき道に出で立ちても、あやふかりし物懲
(モノゴリ) に、いかにせむとおぼしわづらへど、なほ悲しさのやるかたなく、ただ今の骸
(カラ) を見では、またいつの世にかありし容貌をも見むと、おぼし念じて、例の大夫
(タイフ) 、随身 (ズイシン)
を具して出でたまふ。
道遠くおぼゆ。十七日の月さし出でて、河原のほど、御前駆 (サキ)
の火もほのかなるに、鳥部野 (トリベノ)
の方など見やりたるほどなど、ものむつかしきも、何ともおぼえtまはず、かき乱るここちもしたまひて、おはし着きぬ。
あたりさへすごきに、板屋 (イタヤ) のかたはらに堂建てて行へる尼の住ひ、いとあはれなり。御燈明
(ミアカシ) のかげ、ほのかに透 (ス)
きて見ゆ。
そに屋には、女一人泣く声のみして、外 (ト) のかたに、法師ばら二三人物語りしつつ、わざとの声たてぬ念仏ぞする。
寺々の初夜 (ソヤ) もみな行ひ果てて、いとしめやかなり。清水
(キヨミズ) のかたぞ、光多く見え、人のけはひもしげかりける。
この尼君の子なる大徳の、声尊くて経うち誦みたるに、涙の残りなくおぼさる。
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