〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/28 (水) 夕 顔 (二十二)

日暮れて惟光参れり。かかる穢らひありとのたまひて、参る人々も皆立ちながらまかづれば、人しげからず。
召し寄せて、
「いかにぞ。今はと見果てつや」 とのたまふままに、袖を御顔に押しあてて泣きたまふ。
惟光も泣く泣く、
「いまを限りにこそはものしたまふめれ。長々とこもりはべらむも便 (ビン) なきを、明日なむ日よろしくはべれば、とかくのこと、いと尊き老僧のあひ知りてはべるに、言ひかたらひつけはべりぬ」
と聞こゆ。 「添ひたりつる女はいかに」 とのたまへば、
「それなむ、また、え生きまじくがべるめる。われも後れじとまどひはべりて、今朝は谷にも落ち入りぬとなむ見たまへつるかの古里人に告げむやらむ、と申せど、しばし思ひしづめよ、ことのさま思ひめぐらしてとなむ、こしらへおきはべつる」
と、語りここゆるままにいちいみじとおぼして、
「われもいとここちなやましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」 とのたまふ。
「何か、さらに思ほしものせさせたまふ。さるべきにこそよろづのことはべらめ。人に漏らさじと思ふたまふれば、惟光おり立ちて、よろづはものしはべる」 など申す。
「さかし、さ皆思ひなせど、浮びたる心のすさびに、人をいたづらになしつるかこと負ひぬべきが、いとからきなり。少将の命婦などにも聞かすな。尼君ましてかやうのことなどいさめらるるを、心はづかしくなむおぼゆべき」
と、口がためたまふ。
「さらぬ法師ばらなどにも、皆言ひなすさま異にはべり」
と聞こゆるにぞ、かかりたまへる。ほの聞く女房など、あやしく、何ごとならむ、穢らひのよしのたまひて、内裏にも参りたまはず、またかくささめき嘆きたまふと、ほのぼのあやしがる。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

その日も暮れて、惟光が参上しました。こういう死人の穢れに触れたと源氏の君がおっしゃるので、参上した人も皆、着座せず、そそくさ退出してしまいますので、二条の院はひっそりとして人影も多くありません。
惟光をお近く呼ばれて、
{どうだった。やはりもうだめだったか」
とお尋ねになるなり、袖をお顔に押しあててお泣きになられます。惟光も泣く泣く、
「たしかにお亡くなりになってしまいました。いつまでもあそこにお亡骸を置いておく訳にもまいりません。明日がちょうど葬式に日がらもよいので、葬儀万端のことは、私の知り合いの貴い老僧に、よくよく頼んでまいりました」
と申し上げます。
「付き添っていた女房はどうしたか」
との御質問には、
「あの女房も、どうも生きていけるかどうか怪しくなりまして、自分も御主人におくれてはならないと、乱心いたしまして、今朝などは谷に見を投げかねない様子でした。 『五条の家の人々にここことを知らせたい』 と申しますので、 『まあ、もう少し心を落ち着けるように。前後のことをよく考えてからにしなければ』 と、ひとまず止めておきました」
とお話するうちに、源氏の君もつくづく右近を可愛そうに思われて、
「わたしも、たいそう気分が悪いので、死ぬかも知れないような気がする」
とおっしゃいます。
「何を、今更そんなにお悲しみになられますか。あれもこれもみな、前世からの因縁でございます。誰にも知られてはならぬと思いましたので、惟光がひとりですべての始末をしております」
などと、申し上げます。
全くそのとおりだ。何ごとも因縁だと思ってあきらめようとしてみるけれど、浮ついた遊び心から、人一人の命を失わせたと、非難されるに違いない。それがひどく辛いのだ。お前の妹の少将の妙婦などにも聞かせてはならないよ。まして尼君には、常々こんなことでうるさく意見されているのだから、知られたらどんなに恥ずかしいことか」
と、口止めなさいます。
「もちろん、そういう人には知らせませんし、その他の法師たちにも、皆、全然別の説明をしております」
と申し上げますので、すっかり惟光に頼りきっていらっしゃいます。
ふたりのひそひそ話を、かすかに聞いている女房などは、
「何だかおかしいわね。穢れに触れたとかおっしゃって、宮中へも参内なさらず、一方では、こんなひしひそ話をして何だか悲しんでいらっしゃる。どうも様子が腑に落ちない」
と疑っております。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ