日暮れて惟光参れり。かかる穢らひありとのたまひて、参る人々も皆立ちながらまかづれば、人しげからず。
召し寄せて、
「いかにぞ。今はと見果てつや」 とのたまふままに、袖を御顔に押しあてて泣きたまふ。
惟光も泣く泣く、
「いまを限りにこそはものしたまふめれ。長々とこもりはべらむも便 (ビン) なきを、明日なむ日よろしくはべれば、とかくのこと、いと尊き老僧のあひ知りてはべるに、言ひかたらひつけはべりぬ」
と聞こゆ。 「添ひたりつる女はいかに」 とのたまへば、
「それなむ、また、え生きまじくがべるめる。われも後れじとまどひはべりて、今朝は谷にも落ち入りぬとなむ見たまへつるかの古里人に告げむやらむ、と申せど、しばし思ひしづめよ、ことのさま思ひめぐらしてとなむ、こしらへおきはべつる」
と、語りここゆるままにいちいみじとおぼして、
「われもいとここちなやましく、いかなるべきにかとなむおぼゆる」 とのたまふ。
「何か、さらに思ほしものせさせたまふ。さるべきにこそよろづのことはべらめ。人に漏らさじと思ふたまふれば、惟光おり立ちて、よろづはものしはべる」
など申す。
「さかし、さ皆思ひなせど、浮びたる心のすさびに、人をいたづらになしつるかこと負ひぬべきが、いとからきなり。少将の命婦などにも聞かすな。尼君ましてかやうのことなどいさめらるるを、心はづかしくなむおぼゆべき」
と、口がためたまふ。
「さらぬ法師ばらなどにも、皆言ひなすさま異にはべり」
と聞こゆるにぞ、かかりたまへる。ほの聞く女房など、あやしく、何ごとならむ、穢らひのよしのたまひて、内裏にも参りたまはず、またかくささめき嘆きたまふと、ほのぼのあやしがる。
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