〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/20 (火) 夕 顔 (二十一)

日高くなれど、起きあがりたまはねば、人々あやしがろて、御粥 (カユ) などそそのかしきこゆれど、苦くして、いと心細くおぼさるるに、内裏より御使あり。
昨日え尋ね出で出でたてまつらざりしより、おぼつかながらせたまふ。大殿の君達 (キムダチ) 参りたまへど、頭の中将ばかりを、
「立ちながら、こなたに入りたまへ」 とのたまひて、御廉 (ミス) のうちながらのたまふ。
「乳母 (メノト) にてはべる者の、この五月のころほひより、重くわづらひはべりしが、頭剃 (カシラソ) り忌むこと受けなどして、その験 (シルシ) にや、よみがへりたりしを、このころまたおこりて、弱くなむなりにたる、今一度 (ヒトタビ) とぶらひ見よ、と申したりしかば、いときなきよりなづさひし者の、今はのきざみにつらしとや思はむ、と思うたまへてまかれりしに、その家なりける下人 (シモビト) の病しけるが、にはかに出であへで亡くなりにけるを、懼 (オ) ぢ憚 (ハバカ) りて、日を暮らしてなむ取り出ではべりけるを、聞きつけはべりしかば、神事 (カミワザ) なるころ、いと不便 (フビン) なることと思うたまへかしこまりて、え参らぬなり。この暁より、しはぶきやみにやはべらむ、頭 (カシラ) いと痛くて苦しくはべれば、いと無礼 (ムライ) にて聞こゆること」 などのたまふ。
中将、
「さらば、さるよしをこそ奏しはべらめ。昨夜も御遊びに、かしこく求めたてまつらせたまひて、御けしきあやしくはべりき」
と聞こへたまひて、立ちかへり、
「いかなる行触にかからせたまふぞや。述べやらせたまふことこそ、まことと思うたまへられね」
と言ふに、胸つぶれたまひて、
「かくこまかにはあらで、ただおぼえぬ穢らひに触れたるよしを奏したまへ。いとこそたいだいしくはべれ」
と、つれなくのたまへど、心のうちには、いふかひなく悲しきことをおぼすに、御ここちもなやましければ、人に目も見合せたまはず。蔵人の弁を召し寄せて、まめやかにかかるよしを奏させたまふ。大殿などにも、かかることありてえ参らぬ御消息など聞こえたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

日が高くなってもお起きになりませんので、女房たちは不思議に思って、お粥などをおすすめしますけれど、源氏の君はただもうお苦しくて、心細くお思いになっていらっしゃいます。
そこへ宮中から帝のお見舞いのお使いが参りました。昨日、源氏の君を探し出すことがおできにならなかったので、帝はたいそうお案じ遊ばしたのでした。左大臣の御息子たちが、お使いとしてお越しになりましたが、頭の中将だけに、
「穢れがあるので立ったままで、ちょっとこちらへお入り下さい」
と、おっしゃってお呼びこみになり、御簾を隔ててお話になります。
「乳母の一人が、この五月頃から重病になっていて、剃髪し、受戒したりしたので、その功徳のおかげか、一時、よくなっていたのに、またこの節、ぶりかえして弱ってしまいました。 『もう一度見舞ってほしい』 と言いますので、幼い時から親しくしてきた者の、いまわの際の願いを聞いてやらなければ、薄情だと恨むだろうと思って、見舞いに行ってきました。ところが、、その家の病気になっていた下働きの者が、家から外へ出す閑もなく、急に死んでしまったのです。わたしに遠慮して、日が暮れてから内々に死体を運び出したということを、後になって聞きました。あいにく、今は、宮中に神事の多い頃ですから、穢れを受けた身で出仕するのも遠慮して、謹慎しているのです。それに今朝から、風邪でもひいたのか、頭が割れるように痛くて、気分が悪くてたまらないので、こういう失礼をしながら、お話させていただいております」
などとおっしゃいます。頭の中将は、
そんなわけでしたら、そのように奏上いたしましょう。昨夜も、管絃のお遊びの折に、帝がしきりにあなたをお探しになっていらっしゃいました。行方がしれないので、ご機嫌がお悪かったです」
と、お話して帰りかけていたのに、また、戻ってきて、
「それにしてもどんな穢れに遭遇なさったのです。いろいろご説明なさった今のお話は、どうやら本当の話とも思われませんね」
と言われますので、源氏の君は、内心、ぎくっとなさって、
「そんなに細々とではなく、わたしがただ思いがけない穢れに触れたとだけ、奏上しておいて下さい。参内もせず全くどうも申しわけないことでございます」
と、さりげなくおっしゃいましたけれど、お心のうちでは、いまさら言ってもどうしようもない悲しさにとりつかれ、ご気分も悪く、まともに頭の中将のお顔もご覧になれないのでした。
余計な詮索をされてはと、改めて頭の中将の蔵人の弁をお召しになって、几帳面に、参内できないわけを奏上するよう、お申し付けになりました。左大臣などにも、こういう事情で伺えないという次第をお言づてになりました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ