〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/20 (火) 夕 顔 (二十)

この人をえ抱きたまふまじければ、うはむしろにおしくくみて、惟光乗せたてまつる。いとささやかにて、うとましげもなく、らうたげなり。
したたかいしもえせなば、髪はこぼれ出でたるも、目くれまどひて、あさましう悲しとおぼせば、なり果てむさまを見むとおぼせど、
「はや、御馬にて二条の院へおはしまさむ。人騒がしくなりはべらぬほどに」 とて、右近を添え乗すれば、徒歩 (カチ) より君に馬はたてまつりて、くくり引き上げなどして、かつはいとあやしく、おぼえぬ送りなれど、御けしきのいみじきを見たてまつれば、身を捨てて行くに、君はものもおぼえたまはず、われかのさまにておはし着きたり。
人々、 「いづこよりおはしますにか。なやましげに見えさせたまふ」 など言へど、御帳 (ミチョウ) のうちに入りたまひて、胸おさへて思ふに、いといみじければ、などて乗り添ひ行 (イ) かざりつらむ、生きかへりたらむとき、いかなるここちせむ、見捨ててゆきあかれにけりと、つらくや思はむ、と心まどひのなかにも思ほすに、御胸せきあぐるここちしたまふ。御頭もいたく、身も熱きここちして、いと苦しくまどはれたまへば、かくはかなくて、われもいたづらになりぬるなめりとおぼす。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

源氏の君はこの女君の亡骸を、とてもお抱きにはなれそうもないので、薄い布団に押しつつんで惟光が車にお乗せしました。たいそう小柄で、死人などという気味の悪さもなく、可愛らしく見えます。そんなにしっかりとも包めなかったので、黒髪が包みからこぼれ出ているのを御覧になりましても、源氏の君はお涙があふれでて目の前が真っ暗になります。いいようもなく情けなく悲しいので、最後まで見とどけてやりたいとお思いになるのですが、惟光が、
「早くお馬で二条の院へお帰りなさいませ。人の通りが多くならないうちに」
とおせかせします。源氏の君には馬をさしあげ、車には右近だけを亡骸のお供に乗せ、自分は歩いて車に従います。指貫 (サシヌキ) の裾を引きあげてくくり、この院を後にとにかく出発いたしました。
考えてみれば、つくづく不思議な事件で、思いもかけなかった葬送に立ち会ったとは思いますが、惟光は源氏の君のお悲しみのただならぬさまを拝しておりますので、この件でとがめを受けて、自分はどうなたってかまうものかと、身を捨てたつもりで行くのでした。
源氏の君は、上の空で正気もなく、茫然自失のまま二条の院にお着きになりました。
女房たちは、
「どちらから朝帰り遊ばしたことやら。お加減がお悪そうですこと」
などと言っています。源氏の君はすぐ御帳台 (ミチョウダイ) の中へお入りになって、動悸だつ胸を押さえながら、静かにお考えになるにつけ、ただもうかなしくてたまらず、
「どうしてあの車に一緒に乗って行かなかったのだろう。もし女が行きかえった時、自分のいないことをどう思うだろうか。自分を見捨てて別れて行ってしまったと、ひどく悲しく思わないだろうか」
と、惑乱したお心の中にも切なくて、お胸がせき上げてくるようなお気持ちになられます。
頭痛もひどく熱も出てきたようで、たいそうお苦しくて御気分がお悪く、どうしてよいのかわからないので、こんなふうに弱っていては、自分も死んでしまうのだろう、とお思いになります。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ