ややためらひて、
「ここに、いとあやしきことのあるを、あさましと言ふにもあまりてなむある。かかるとみのことには、誦経
(ズキョウ) などをこそはすなれとて、そのことどももせさせむ、願などもたてさせむとて、阿闍利ものせよ、と言ひやりつるは」
とのたまふに、
「昨日山へまかり上 (ノボ) りにけり。まづ、いとめづらかなることにもはべるかな。かねて、例ならず御ここちもにのせさせたまふことやはべりつらむ」
「さることもなかりつ」 とて泣きたまふさま、いとをかしげにらうたく、見えたてまつる人もいと悲しくて、おのれもよよろ泣きぬ。
さいへど、年うちねび、世の中のとあることと、しほじみぬる人こそ、もののおりふしはたのもしかりけれ、いづれもいづれも若きどちにて、言はむかたもなけれど、
「この院守 (インモリ) などに聞かせむことはいと便なかるべし。この人一人こそむつましくもあらめ、おのづからもの言ひ漏らしつべき眷属
(ケンゾク) も立ちまじりたらむ。まづこの院を出でおはしましね」
と言ふ。
「さて、これより人少ななる所はいかでかあらむ」 とのたまふ。
「げにさぞはべらむ。かの故里 (フルサト) は、女房などの、かなしびに堪へず、泣きまどひはべらむに、隣しげく、とがむる里人多くはべらむに、おのづから聞こえはべらむを、山寺こそ、なほかようのことおのづから行まじり、ものまぎるることはべらめ」
と、思ひまはして、
「昔見たまへし女ばらの、尼にてはべる東山の辺に移したてまつらむ。惟光は父の朝臣の乳母にはべりし者の、みつはくみて住みはべるなり。あたりは人しげきやおうにはべれど、いとかごかにはべり」
と聞こえて、明け離るるほどのまぎれに、御車寄す。
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