〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/19 (月) 夕 顔 (十九)

ややためらひて、
「ここに、いとあやしきことのあるを、あさましと言ふにもあまりてなむある。かかるとみのことには、誦経 (ズキョウ) などをこそはすなれとて、そのことどももせさせむ、願などもたてさせむとて、阿闍利ものせよ、と言ひやりつるは」
とのたまふに、
「昨日山へまかり上 (ノボ) りにけり。まづ、いとめづらかなることにもはべるかな。かねて、例ならず御ここちもにのせさせたまふことやはべりつらむ」
「さることもなかりつ」 とて泣きたまふさま、いとをかしげにらうたく、見えたてまつる人もいと悲しくて、おのれもよよろ泣きぬ。
さいへど、年うちねび、世の中のとあることと、しほじみぬる人こそ、もののおりふしはたのもしかりけれ、いづれもいづれも若きどちにて、言はむかたもなけれど、
「この院守 (インモリ) などに聞かせむことはいと便なかるべし。この人一人こそむつましくもあらめ、おのづからもの言ひ漏らしつべき眷属 (ケンゾク) も立ちまじりたらむ。まづこの院を出でおはしましね」 と言ふ。
「さて、これより人少ななる所はいかでかあらむ」 とのたまふ。
「げにさぞはべらむ。かの故里 (フルサト) は、女房などの、かなしびに堪へず、泣きまどひはべらむに、隣しげく、とがむる里人多くはべらむに、おのづから聞こえはべらむを、山寺こそ、なほかようのことおのづから行まじり、ものまぎるることはべらめ」 と、思ひまはして、
「昔見たまへし女ばらの、尼にてはべる東山の辺に移したてまつらむ。惟光は父の朝臣の乳母にはべりし者の、みつはくみて住みはべるなり。あたりは人しげきやおうにはべれど、いとかごかにはべり」
と聞こえて、明け離るるほどのまぎれに、御車寄す。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

少し気を静められてから、
「ここで、まったく信じられないような変なことが起こったのだ。情けないの何のって言いようもないことだ。こうした突然の変死の場合には、とにかく誦経 (ズキョウ) などをするものだと聞いているが、そういうこともしてやりたいし、蘇生するよう願なども立ててやりたいので、お前の兄の阿闍利に来てもらうように言ってやったのだが」
とおっしゃいます。惟光は、
「阿闍利は、昨日比叡山へ帰ってしまいました。それのしても、実に変った事件ですね。前からあの方は御気分の悪いということでもあったのでしょうか」
「そんなこともなかった」
と、お泣きになる御様子がただもうお美しく、いたいたしくお見受けしますので、惟光もたまらなく悲しくなり、自分までよよと泣いてしまいました。
そうはいっても、年をとっていて、世の中のさまざまな経験を積んだ者なら、こういったまさかの場合には頼りになるものですが、何しろ、ふたりとも若い者どうしで、なすすべもなく困りきっているのでした。
「この院の留守番の者などに相談するのは、何よりまずいと思います。この男ひとりだけは信頼できて秘密を守ったとしても、何かの折につい喋ってしまうような、口軽の身内の者もいることでしょう。何にしましても、まず、とにかくいそいで、この院をお出になっていただきましょう」
と惟光が申し上げます。源氏の君は、
「それにしても、ここより人目につかない所がどこにあるだろう」
とおっしゃいます。
「ほんとうにその通りです。あの五条の家は、女房たちが悲しさのあまり泣き惑うことでしょう。隣近所が建てこんでいて、何事かと聞き耳立てる者も多いでしょうから、どうしても噂が伝わってしまいましょう。山寺でしたら、やはり葬式などがありがちですから、亡骸を運びこんでも人目につかないと思われます」
とあれこれ思案しまして、
「昔懇意にしておりました女房が、尼になって東山のあたりに庵を結び籠っています。そこへ亡骸をお移ししましょう。その尼は私の父の乳母だった者で、今はすっかり老いこんで住んでいます。あたりには人家も多いようですが、そこはほんとに閑静なところでございます」
と申し上げて、すっかり夜が明けはなれる頃の、あわただしいざわめきにまぎらせて、御車を寝殿におつけしました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ