〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/19 (月) 夕 顔 (十七)

この男を召して、
「ここに、いとあやしう、ものにおそはれたる人のなやましげなるを、ただ今、惟光のやどり所にまかりて、急ぎ参るべきよし言へ、と仰せよ。なにがし阿闍利、そこにものほするほどならば、ここに来 (ク) べきよし忍びて言へ。かの尼君などの聞かむに、おどろおどろしく言ふな。かかるありき許さぬ人なり」
など、もののたまふやうなれど、胸塞がりて、この人を空しくしなしてむことのいみじくおぼさるるに添えて、おほかたのむくむくしさたとへむかたなし。
夜中も過ぎにけむかし、風のやや荒々しう吹きたるは。まして松のひびき木深 (コブカク) く聞こえて、けしきある鳥のから声に鳴きたるも、梟 (フクロウ) はこれにやとおぼゆ。
うち思ひめぐらすに、こなたかなた、けどほくうとましさに、人声はせず、などて、かくはかなきやどりは取りつるぞと、くやしさもやむかたなし。
右近はものもおぼえず、君につと添ひたてまつりて、わななき死ぬべし。またこれもいかならむと、心そらにてとらへたまへり。われ一人さかしき人にて、おぼしやるかたぞなきや。
火はほのかにまたたきて、母屋の際に立てたる屏風の上、ここかしこの隅々 (クマグマ) しくおぼえたまふに、ものの足音ひしひしと踏み鳴らしつつ、後ろより寄り来るここちす。
惟光疾く参らなむとおぼす。ありか定めぬ者にて、ここかしこ尋ねけるほどに、夜の明くるほどの久しさは、千夜 (チヨ) を過ぐさむここちしたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

さっきの滝口の男をお召しになり、
「不思議な事だが、ここに、突然物の怪におそわれた人が苦しんでいるので、大至急、惟光の朝臣の家に行って、急いで来るようにと、随身に命じなさい。また惟光の兄の阿闍利もその家に居合わせていたら、一緒にここへ来るようにと、こっそり言いなさい。あの尼君などが聞くといけないから、びっくりするような大きな声で言ってはならない。尼君はこんな夜歩きをきびしく叱る人だから」
などと、口ではお命じになっているようですけれど、お胸は一杯になっていて、この人をこのまま空しく死なせてしまうことが辛くてたまらない上に、あたりの気配の不気味さはたとえようもありません。
夜風がさっきより少し荒々しく吹きはじめているのは、もう真夜中も過ぎたのでしょう。まして松風の響きが深い木立の中に陰々と鳴りひびき、聞きなれない鳥が、しわがれ声で鳴いています。梟というのはこれなのだろうと思われます。
あれこれとお考えになりますと、どこもかしこも馴染みが薄く、嫌なところなのに、その上、人声さえ全くしないのです。どうしてこんな心細い所に泊まったりしたのだろうと、いいようもなく後悔がつのりますが、今更どうしようもありません。
右近は無我夢中で、源氏の君にしっかりと、すがったまま、わなわな震えて、今にも死に入りそうなありさまです。この女も死ぬのではないかと、源氏の君は心も上の空で右近の体をつかまえておやりになります。自分ひとりだけが正気なのだと思うと、どうしようもなく、分別もつきません。
燈火はほのかにまたたいて、母屋との境に立てた屏風の上の方や、そこかしこ隅々に黒い闇がただよい、気味悪く思われます。背後からひしひしと足音を踏み鳴らしながら、何者かが近づいてくるような気持ちがします。
惟光が早く来てくれればいいのにとひたすら待ち遠しくなられます。女に通う所が多く、いつでも居場所の定まらない男なので、随身があちらこちら尋ね探しているらしく、待つ身にとっては夜が明けるまでの長さは、千夜を過ごすようにもお感じになるのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ