君も、かくうらなくたゆためてはひ隠れなば、いづこをはかりとか、われも尋む、かりそめの隠処
(カクレガ) と、はた見ゆめれば、いづかたにもいづかたにもうつろひゆかむ日を、いつとも知らじとおぼすに、追ひまどはして、なのめに思ひなしつべくは、ただかばかりのすさびにても過ぎぬべきことを、さらにたて過ぐしてむとおぼされず。
人目をおぼして、隔ておきたまふ夜な夜ななどは、いと忍びがたく、苦しきまでおぼえたまへば、なほ誰となくて二条の院に迎へてむ、もし聞こえありて便なかるべきことなりとも、さるべきにこそは、わが心ながら、いとかく人にしむことはなきを、いかなる契りにかはありけむ、など思ほしよる。
「いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ」 など、かたらひたまへば、
「なほあやしう、かくのたまへど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ」
と、いと若びて言へば、げに、とほほゑまれたまひて、
「げに、いづれか狐なるらむな、ただはかられたまへかし」
と、なつがしげにのたまへば、女もいみじくなびきて、さもありぬべく思ひたり。
世になくかたはなることなりとも、ひたぶるに従ふ心は、いとあはれげなる人と見たまふに、なほ、かの頭の中将の常夏疑はしく、語し心ざま、まづ思ひいでられたまへど、忍ぶるやうこそは、と、あながちにも問ひいでたまはず。
けしきばみて、ふとそむき隠るべき心ざまなどはなければ、かれがれにとだえ置かむをりこそは、さように思ひ変ることもあらめ、心ながらも、すこしうつろふことあらむこそあはれなるべけれ、とさへおぼしけり。
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