〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/14 (水) 夕 顔 (九)

君も、かくうらなくたゆためてはひ隠れなば、いづこをはかりとか、われも尋む、かりそめの隠処 (カクレガ) と、はた見ゆめれば、いづかたにもいづかたにもうつろひゆかむ日を、いつとも知らじとおぼすに、追ひまどはして、なのめに思ひなしつべくは、ただかばかりのすさびにても過ぎぬべきことを、さらにたて過ぐしてむとおぼされず。
人目をおぼして、隔ておきたまふ夜な夜ななどは、いと忍びがたく、苦しきまでおぼえたまへば、なほ誰となくて二条の院に迎へてむ、もし聞こえありて便なかるべきことなりとも、さるべきにこそは、わが心ながら、いとかく人にしむことはなきを、いかなる契りにかはありけむ、など思ほしよる。
「いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ」 など、かたらひたまへば、
「なほあやしう、かくのたまへど、世づかぬ御もてなしなれば、もの恐ろしくこそあれ」
と、いと若びて言へば、げに、とほほゑまれたまひて、
「げに、いづれか狐なるらむな、ただはかられたまへかし」
と、なつがしげにのたまへば、女もいみじくなびきて、さもありぬべく思ひたり。
世になくかたはなることなりとも、ひたぶるに従ふ心は、いとあはれげなる人と見たまふに、なほ、かの頭の中将の常夏疑はしく、語し心ざま、まづ思ひいでられたまへど、忍ぶるやうこそは、と、あながちにも問ひいでたまはず。
けしきばみて、ふとそむき隠るべき心ざまなどはなければ、かれがれにとだえ置かむをりこそは、さように思ひ変ることもあらめ、心ながらも、すこしうつろふことあらむこそあはれなるべけれ、とさへおぼしけり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

源氏の君も夕顔の女がこんなふうに心からなびききった様子で油断させておいて、ふいにこっそり行方もわからずになってしまったら、どこを目当てにして探したらいいものかとお案じになっていらっしゃいます。
この夕顔の家は、あくまでかりそめの隠れ家らしいから、どこからどこへとあてもなく移ってしまうかもしれないのだとお思いになりますと、それがいつの日とも予想できないので、女の行方を捜しもとめてもわからなかった時には、結局、この程度の浅い情事にすぎなかったのかとあきらめられるかもしれないけれど、とてもそんなふうにすますお気持ちにはなれません。
人目を気にして逢わずにいらっしゃった夜な夜ななどは、とてもがまんがお出来にならず、苦しいまでにお悩みになります。
「やはり、この女を誰とも知らせずに、こっそり二条の院に迎え入れよう。もし世間に知れて不都合な事がおこったとしても、それもこうばる前世からの因縁だったのだろう。 自分の心とはいいながら、こんなにまで夢中に女に惚れこむことはかってなかったのに、一体これはどういう宿縁によるのだろうか」
などと、お考えになられるのでした。
{さあ、もっと気がねのいらない所へ行ってゆっくりお話しよう」
などとお誘いになりますと、
「やはり何だか不安ですわ、だってそんなことおっしゃっても、これまでとても変わったお扱いばかり受けているのですもの、何となく怖くて」
と、さいそう子どもっぽく言いますので、源氏の君はほんとうにそれもそうだとお笑いになって、
「なるほどね、いったいどちらが狐なのだろう。まあ、四の五の言わずに化かされていなさいよ」
と、やさしくおっしゃいますので、女もすっかり心を許してそのつもりになり、どうなってもいいと思ってしまうのでした。
どんなに奇怪な不思議なことにも、ひたむきに従ってくる心は、何という可愛い女なのだろうと源氏の君は思われるにつけ、やはり、この女は、頭の中将が話していたあの常夏の女ではないのかと疑わしく思われます。
あの時に聞かされた女の性質などをまずお思い出しになるのでしたが、女の方には隠さなければならないわけがあるのだろうと、無理のそれを問いただしたりはなさらないのでした。
思わせぶって、急に裏切って逃げ隠れしそうな性質などは、今のところ女には見られないのです。もし、夜離 (ヨガ) れが度重なり捨てて置くような時にでもなれば、女の方でも行方をくらますような気をおこすかもしれないけれど、とても御自分でも気持ちがよそへ移ることなどはお考えになれないのです。いや、かえって女の方が飽いてきて移り気なところを見せてくれでもした方が、もっと恋の味わいが深まるのではないかとまで、お思いになるほどでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ