〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/08 (木) 夕 顔 (七)

まことや、かの惟光があづかりのかいま見は、いとよく案内見見とりて申す。
「その人とはさらにえ思ひえはべらず。人にいみじく隠れ忍ぶるけしきになむ見えはべるを、つれづれなるままに、南の半蔀ある長屋にわたり来つつ、車の音すれば、若き者どもののぞきなどすべかめるに、この主とおぼしきも、はひわたる時はべべかめる。容貌なむ、ほのかなれど、いとらうたげにはべる。一日 (ヒトヒ) 前駆 (サキ) 追ひてわたる車のはべりしを、のぞきて、童女の急ぎて 『右近の君こそ、まづもの見たまへ。中将殿こそ、これよりわたりたまひぬれ』 と言へば、また、よろしき大人出で来て、 『あなかま』 と、手かくものから、 『いかでさは知るぞ、いで、見む」 とて、はひわたる。打橋 (ウチバシ) だつものを道にてなむ通ひはべる。
急ぎ来るものは、衣の裾をものに引きかけて、よろぼひ倒れて、橋よりも落ちぬべければ、 『いで、この葛城 (カツラギ) の神こそ、さかしうしおきたれ」 と、むつかりて、もののぞきの心もさめぬめりき。
君は御直衣 (ナホシ) 姿にて、御随身 (ミズイジン) どももありし。なにがしくれがしと数へしは、頭の中将の随身、その小舎人童 (コドネリワラハ) をなむ、しるしに言ひはべりし」
など聞こゆれば、
「たしかにその車をぞ見まし」 とのたまひて、もしかのあはれに忘れざりし人にやと、思ほしよるも、いと知らまほしげなる御けしきを見て、
私の懸想 (ケソウ) もいとよくしおきて、案内も残るところなく見たまへおきながら、ただわれどちと知らせて、ものなど言ふ若きおもとのはべるを、そらおぼれしてなむ、はかられまかりありく。いとよく隠したりと思ひて、ちひさき子どもなどのはべるが、言 (コト) あやしまりつべきも言ひまぎらはして、また人なきさまを強ひてつくりはべる」 など、語り笑ふ。
「尼君のとぶらひにものせむついでに、かいま見させよ」 とのたまひけり。
かりにても、宿れる住ひのほどを思ふに、これこそ、かのお人の定めあなづりし下の品ならめ、そのなかに、思ひのほかにをかしきこともあらば、などとおぼすなりけり。
惟光、いささかのことも御心に違はじと思ふに、おのれも隅なき好き心にて、いみじくたばかりまどひありきつつ、しひておはせまさせそめてけり。
このほどのこと、くだくだしければ、例の、もらしつ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

それはそうと、あの惟光がお引き受けした覗き見の一件は、その後さらに詳しく事情をさぐってきて御報告いたしました。
「あの女の素性は、さっぱりわかいません。何でもたいそう世間に気がねして隠れ住んでいるように見受けられますが、所在なさのあまりに、若い女たちが南側の道に面した安蔀 (ハジトミ) のある建物にやって来ては、道に車の音がすると、覗いたりしているようです。主人らしく思われる女も、時々そこに来ているようでございます。器量は、ぼんやり見えただけですが、たいそう可愛らしいようでございます。先日、先払いをしながら大路を通りすぎる車がありましたが、それを覗いていた女童 (メノワラワ) が急いで、
『右近の君さま、早く早く御覧なさい。中将さまが今、ここをお通りになりますわ』
と言いますと、もう一人の年輩の女房が出てきまして、
『まあ騒々しい』
と、手で制しながらも、
『どうして中将さまとわかったの、どれ、わたしも見てみましょう』
と言って、そっと覗きに来ます。その建物へ参るには打橋 (ウチハシ) のようなものが渡してあって、そこを通るのです。ところが、その女房はあまり急いで来たので、着物の裾を物に引っかけて、よろけて倒れかけた拍子に、打橋から落ちそうになりました。
『まあ、この葛城 (カツラギ) の神様ったら橋作りの名人のはずなのに、なんてあぶなっかしい橋をかけてくれたのかしら』 と、文句をいって、覗き見する気持ちもさめてしまったのでしょう。
『車の中のお方は御直衣姿 (オンノウシ) 姿で、随身たちもお供していました』
「あれは誰さんよ』
『こちらは誰さんだわ』
と、女童が名をあげているのを聞きましたら、みんな頭の中将さまにお付きの随身や小舎人童 (コドネリワラワ) などでして、それだから頭の中将のお車に違いないと言ってました」
などとご報告いたします。源氏の君は、
「頭の中将かどうか、その車をたしかめて見たかったものだ」
とおっしゃって、もしかしたらあの家の女は、雨夜の品定めの折に、頭の中将が今も忘れられないといっていた、あのあわれな常夏の女なのではないだろうか、と思いつかれて、なおさらもっと知りたそうにしていらっしゃるので、惟光は、
「実は私もあの家の女房のひとりに、うまく言い寄りまして、家の中の隅々まですっかり見とどけておきましたが、ここにいるものはみんな朋輩どうしだと見せかけて、わたしの前ではわざとそうした言葉づかいで話をしている若い女もいるのですが、わたしは空惚 (ソラトボ) けてすっかりだまされたふりをして出入りしております。
向こうはうまく隠しきれたと思って、そこにいる小さな子どもなどが、時々うっかり言いそこないをしそうになった時などにも、うまくごまかして、別に主人などはいない様子を、無理につくろっておりました」
と笑って話します。源氏の君は、
「尼君のお見舞いに行くついでに、覗かせておくれ」
とおっしゃるのでした。
仮の住家にしたろころで、あの家の様子では、これこそ、雨夜の品定めの時、頭の中将が軽蔑していた下の階級の女にちがいないだろう。ところがそんな中に、思いがけない掘出し物でもあったらなどとお考えになるのでした。
惟光は、どんな些細なことでも、源氏の君の思し召しにそむかぬようにと心がけていますが、自分も女には目のないたちなので、ずいぶんあれこれ策を弄して駆け回っては、源氏の君があの家に通いはじめられるように、強引に段取を取りつけました。
このあたりの話はくだくだしくなりますので、いつものように省かせていただきましょう。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ
BACK