まづ急ぎ参れり。船路 (フナミチ) のしわざとて、すこし黒みやつれたる旅姿、いとふつつかに心づきなし。されど人もいやしからぬ筋に、容貌
(カタチ) などねびたれど、きよげにて、ただならず、けしきよしづきてなどぞありける。
国の物語など申すに、湯桁はいくつと問ひまほしくおぼせど、あいなくまばゆくて、御心のうちにおぼしいづることもさまざまなり。
ものまめやかなる大人をかく思ふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなれや、げにこれぞ、なのめならぬかたはなべかりける、と、馬の頭のいさめおぼしいでていとほしきに、つれなき心はねたけれど、人のためにはあはれとおぼしなさる。
女をばさるべき人にあづけて、北の方をば率 (ヰ)
て下りぬるべしと、聞きたまふに、ひとかたならず心あわたたしくて、今一度はえあるまじきことにやと、小君をかたらひたまへど、人の心を合せたらむことにてだに、かろらかにえしもまぎれたまふまじきを、まして似げなきことに思ひて、今さらに見苦しかるべし、と思ひ離れたり。
さすがに絶えて思ほし忘れなむことも、いといふかひなく、憂かるべきことに思ひて、さるべきをりをりの御いらへなど、なつかしく聞こえつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、目とまるべきふし加へなどして、あはれとおぼしぬべき人のけはひなれば、つれなくねたきものの、忘れがたきにおぼす。
今一方 (ヒトカタ) は主つよくなるとも、かはらずうちとけぬべく見えしさまなるを頼みて、とかく聞きたまへど、御心も動かずぞありける。
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