〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/05/06 (火) 夕 顔 (五)

まづ急ぎ参れり。船路 (フナミチ) のしわざとて、すこし黒みやつれたる旅姿、いとふつつかに心づきなし。されど人もいやしからぬ筋に、容貌 (カタチ) などねびたれど、きよげにて、ただならず、けしきよしづきてなどぞありける。
国の物語など申すに、湯桁はいくつと問ひまほしくおぼせど、あいなくまばゆくて、御心のうちにおぼしいづることもさまざまなり。
ものまめやかなる大人をかく思ふも、げにをこがましく、うしろめたきわざなれや、げにこれぞ、なのめならぬかたはなべかりける、と、馬の頭のいさめおぼしいでていとほしきに、つれなき心はねたけれど、人のためにはあはれとおぼしなさる。
女をばさるべき人にあづけて、北の方をば率 (ヰ) て下りぬるべしと、聞きたまふに、ひとかたならず心あわたたしくて、今一度はえあるまじきことにやと、小君をかたらひたまへど、人の心を合せたらむことにてだに、かろらかにえしもまぎれたまふまじきを、まして似げなきことに思ひて、今さらに見苦しかるべし、と思ひ離れたり。
さすがに絶えて思ほし忘れなむことも、いといふかひなく、憂かるべきことに思ひて、さるべきをりをりの御いらへなど、なつかしく聞こえつつ、なげの筆づかひにつけたる言の葉、あやしくらうたげに、目とまるべきふし加へなどして、あはれとおぼしぬべき人のけはひなれば、つれなくねたきものの、忘れがたきにおぼす。
今一方 (ヒトカタ) は主つよくなるとも、かはらずうちとけぬべく見えしさまなるを頼みて、とかく聞きたまへど、御心も動かずぞありける。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

伊予の介は都に着くなり、何よりも先に源氏の君のお邸へ御挨拶に参上いたします。
船路のせいでやや日焼けして黒くなった顔に、旅やつれをにじませた伊予の介は、ずいぶん武骨でいかつい感じです。それでも、賤しくない家柄に生まれ、容貌などはふけてはいても、端正に整っていて、いかにも堂々とした風格を具えています。
伊予の国の話をいろいろ申し上げますので、源氏の君は道後温泉の湯桁の数でも尋ねてみたくお思いになりますけれど、何となく気がとがめてまともに視線が合わされず、お心のうちには、さまざまな想いがかけめぐります。
「ほんにこんな生真面目一方の年寄りを前にして、こうした思いをするのも、いかにも愚かしく、後ろめいたことではないか、全くこういう人妻との密 (ミソ) か事などは、とんでもない不埒 (フラチ) なことだったのだ」
とお考えになり、左馬の頭が、色っぽい女は夫を裏切って、人のもの笑いにするから気をつけろと、いさめたことも思い出されて、伊予の介が気の毒になります。空蝉の冷淡さはいまいましく癪に障るものの、伊予の介にとっては殊勝な妻なのだとお考えになるのでした。
「娘は適当な人と結婚させまして、今度は妻を連れて伊予に下るつもりでございます」
と伊予の介はいうのをお聞きになって、源氏の君は内心あわてふためかれ、もう一度空蝉に逢えぬものかと小君にご相談なさいましたけれど、たとえ女が同じ恋心を持ち同意したとしても、御身分柄そう軽々しくお忍びで訪ねることなどは難しいのです。まして空蝉の方では、こんなことは、およそ身分違いの不相応なことだと思い、今さらそんな関係をつづけるのは見苦しいと、あきらめきっているのでした。それでも空蝉は源氏の君があれっきり、自分をすっかりお忘れになってしまわれるとしたら、それもさすがに情けなく辛いことだろうと思いますので、適当な折々のお手紙へのお返事などは、やさしく書いて、さりげない文面に詠みこんだ歌も、不思議なほどいじらしく、心をそそるような表現が添えられていたりして、恋しさをいっそうお心に刻みつけるようにしむけますので、冷淡な憎らしい女だと恨む一方では、やはり忘れられない女だとお思いになるのでした。
もう一人の継娘は、夫が決まってからも相変わらず、誘いを待っていそうな様子でしたので、いつでも逢える女だとお気をゆるし、縁談の噂などいろいろとお聞きになりましても、一向に動揺などはなさらないのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ