〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/04/29 (火) 夕 顔 (三)

修法 (ズホウ) など、またまたはじむべきことなど掟 (オキテ) てのたまはせて出でやまふとて、惟光に紙燭 (シソク) 召して、ありつる扇御覧ずれば、もてならしたる移香 (ウツリガ) 、いと染み深うなつかしくて、をかしうすさび書きたり。

心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花
そこはかとなく書きまぎらはしたるも、あてはかにゆゑづきたれば、いと思ひのほかにをかしうおぼえさせたまふ。
惟光に、 「この西なる家は何人 (ナンビト) の住むぞ。問ひ聞きたりや」
とのたまへば、例のうるさき御心とは思へども、さは申さで、
「この五六日ここにはべれど、病者 (ボウザ) のことを思うたまへあつかひはべるほどに、隣のことはえ聞きはべらず」
などはしたやなかに聞こゆれば、
「憎しとこそ思ひたれな。されど、この扇の尋ぬべきゆゑありて見ゆるを、なほこのわたりの心知れらむ者を召して問へ」
とのたまへば、入りて、この宿守 (ヤドモリ) なるをのこ呼びて問ひ聞く。
「揚名の介なる人の家になむはべりける。男は田舎にまかりて、妻 (メ) なむ若くこと好みて、はらからなれど宮仕へ人にて来通ふ、と申す。くはしきことは、下人 (シモビト) のえ知りはべらむにやあらむ」 と聞こゆ。
さらばその宮仕へ人ななり、したり顔にものなれて言へるかな、と、めざましかkるべき際 (キワ) にやあらむと、おぼせど、さして聞えかかれる心の、憎からず過ぐしがたきぞ、例の、このかたには重からぬ御心なめるかし。
御畳紙 (タタウガミ) に、いたうあらぬさまに書きかへたまひて、
寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔
ありつる御随身 (ミズイジン) してつかはす。
まだ見ぬ御さまなりけれど、いとしるく思ひあてられたまへる御そば目を見過ぐさで、さしておどろかしけるを、いらへたなはでほどへければ、なまはしたなきに、かくわざとめかしければ、あまえて、いかに聞こえむ、など、言ひしろふべかめれど、めざましと思ひて、随身は参りぬ。
御前駆 (サキ) の松明ほのかにて、いと忍びて出でたまふ。半蔀はおろしてけり。隙々 (ヒマヒマ) より見ゆる火の光、螢よりけにほのかにあはれなり。
御心ざしの所には、木立前栽など、なべての所に似ず、いとのどかに心にくく住みなしたまへり。うちとけぬ御ありさまなどの、けしき異なるに、ありつる垣根思ほしいでらるべくもあらずかし。翌朝 (ツトメテ) すこし寝過ぐしたまひて、日さし出づるほどに出でたまふ。朝明 (アサケ) の姿は、げに人のめできこえむもことわりなる御さまなりけり。
今日もこの蔀の前渡りしたまふ。来きかたも過ぎたまひけむわたりなれど、ただはかなき一ふしに御心とまりて、いかなる人の住処 (スミカ) ならむとは、往来 (ユキキ) に御目とまりたまひけり
(口語訳・瀬戸内 寂聴)

尼君の病気平癒の加持祈祷などを、ほかにもまた始めるようになどお命じになられてから、源氏の君はこの家をお出になろうとして、惟光に紙燭 (アカリ) を用意させたついでに、さっきの扇を御覧になりました。この扇を使い馴らした人の移り香が、たいそう深くしみついていて、心惹かれます。扇には風流な筆跡で歌が書き流してありました。

「心あてに それかとぞ見る 白露の 光そへたる 夕顔の花」
(あるいはあのお方 源氏の君ではないかしら 白露に濡れて ひとしお美しく光をました 夕顔の花のようなお顔は)
それとなくほのかに変えてある筆跡も、上品らしくわけあるそうに見えます。源氏の君は思いのほかにお気持ちをそそられ、
「この西隣の家には誰が住んでいるのか、聞いたことはないか」
と惟光におっしゃいますので、また例の厄介なお癖が、とは思うけれども、惟光はそうとはいわず、
「この五、六日、この家にはおりますが、病人のことが心配で看護にかまけきっていまして、隣のことなど聞く隙もありません」
と、ぞんざいな口調で申し上げます。
「こんなことを訊くのを憎らしいと思っているのだね。しかし、この扇は調べてみなければならない訳がありそうに思われるから、やはりこのあたりの様子の分かった者を呼んで調べとぉくれ」
とおっしゃるので、惟光は奥に入り、この家の管理人を呼んで尋ねました。男は、
「隣は楊名 (ヨウメイ) の介をしている者の家でございました。主人は田舎へ出かけていて、その妻というのが年も若く風流好みの女で、その姉妹とかが宮仕えをしていて、よくこちらに出入りしていると、隣の下男が申します。くわしいことは、下男などにはよくわからないようでございます」
と申し上げます。
なるほど、それではあの歌は、宮仕えの女のしわざであろう。得意そうにさも馴れ馴れしく詠んだものだ、どうせ興ざめな身分の低い者だろう、とはお思いになるものの、それでも源氏と目ざして、歌を詠みかけてきた心意気が、どうも捨て難くて、憎からずお思いになりますのも、例の、女にかけてはほんとうに軽々しいお心のせいなのでしょう。
懐紙に、つとめて御自分の字ではないように、筆跡を変えてお書きになられて、
「寄りてこそ それかとも見め たそかれに ほのぼの見つる 花の夕顔」
(近づいてたしかに 見さだめてはいないが たそがれの薄明かりに ほのかに見た夕顔の 花の正体をわたしを)
と、いう歌を、さっきの随身に持たせておやりになりました。
女たちはまだこれまで拝したこともない源氏の君のお姿でしたけれど、たしかにあのお方にまちがいないと、御推量した君の横顔を見逃すことができずに、いきなり、歌をさしあげたりしたものの、源氏の君からは、何のお答えがないまま時が過ぎていったので、何だか体裁が悪く、気恥ずかしい思いをしていたところでした。そこへ、こうしてわざわざお返事がありましたので、いい気になって、
「さあ、どうお返事したものかしら」
などと、相談しあっている様子でしたが、随身は興ざめな女どもだと癪に障り、さっさと帰ってきてしまいました。
先払いの者のともす松明の光もほのかに、源氏の君は、乳母の家を忍びやかに御退出なさいました。
西隣の家の半蔀はもうすっかり下ろされています。半蔀の隙間から漏れてくる灯が、蛍よりもなおもほのかに見えるのが、しみじみとした気持ちをそそるのでした。
お通いどころの六条のお邸では、庭の木立や植え込みなどの風情が、ありふれたところとは全くちがっていて、いかにも閑静に、優雅にお住まいでいらっしゃいます。
女の君の高貴すぎるほど端正な御容姿などは、比べようもないほど、お美しいので、さきほどの夕顔の垣根の女のことなど、思い出されるはずもありません。
明くる朝は少しお二人で寝過ごされて、朝日がさし昇るころ、源氏の君は六条のお邸をお出ましになります。
黎明の中に拝する源氏の君の朝帰りのお姿は、たしかに人々がこぞってほめそやすのは、無理もないほどのご立派さなのでした。
今日もあの夕顔の蔀戸の前をお通りになられました。これまでにも度々通りすぎていらっしゃたあたりなのですけれど、ただ、歌をとりかわしたというささいなことが、お心にとまってからは、いったいどんな人が住んでいるのだろうと、つい往き来きにお目がとまるようになりました。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ