〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/04/17 (木) 空 蝉 (二)

この入りつる格子はまだささねば、隙 (ヒマ) 見ゆるに、寄りて西ざまに見通したまへば、この際に立てたる屏風も、端のかたおし畳 (タタ) まれたるに、まぎるべき几帳なども、暑ければにや、うち掛けて、いとよく見入れらる。 火、近うともしたり。母屋の中柱にそばめる人やわが心かくると、まづ目とどめたまへば、濃き綾 (アヤ) の単襲 (ヒトエガサネ) なめり、何にかあらむ上に着て、頭 (カシラ) つきほそやかに、ちひさき人の、ものげなき姿ぞしたる。顔などは、さし向ひたらむ人などにも、わざと見ゆまじうもてなしたり。手つき痩せ痩せにて、いたうひき隠しためり。
今一人は、東向きにて、残るところなく見ゆ。白き羅 (ウスモノ) の単襲 (ヒトエガサネ)二藍 (フタアイ) の小袿 (コウチキ) だつもの、ないがしろに着なして、紅 (クレナイ) の腰ひき結 (ユ) へる際まで胸あらはに、ばうぞくなるもてなしなり。
いと白うをかしげに、つぶつぶと肥えて、そぞろかなる人の、頭 (カシラ) つき額つきものあざやかに、まみ口つきいと愛敬 (アイキョウ) づき、はなやかなる容貌 (カタチ) なり。
髪はいとふさやかにて、長くはあらねど、さがりば、肩のほどよきげに、すべていとねじけたるところなく、をかしげなる人と見えたり。むべこそ、親の世になくは思ふらめと、をかしく見たまふ。 ここちぞ、なほ静かなりけるをそへばやと、ふと見ゆる。 かどなきにはあるまじ、碁打ち果てて、闕 (ケチ) さすわたり、心とげに見えて、きはきはとさうどけば、奥の人はいと静かにのどめて、
「待ちたまへや。そこは持 (ヂ) にこそあらめ。このわたりの劫 (コフ) をこそ」
など言へど、
「いで、このたびは負けにけり。隅のとことどころ、いでいで」 と指をかがめて、 「十 (トヲ) 、二十 (ハタ) 、三十 (ミソ) 、四十 (ヨソ) 」 などかぞふるさま、伊予の湯桁 (ユゲタ) もたどたどしかるまじう見ゆ。すこし品おくれたり。たとしへなく口おほひて、さやかにも見せねど、目をしつとつけたまへければ、おのづからそば目に見ゆ。目すこし腫れたるここちして、鼻などもあざやかなるところなうねびれて、にほはしきところも見えず、言ひ立つれば、わろきによれる容貌を、いといたうもてつけて、このまされる人よりは心あらむと、目とどめつべきさましたり。
にぎははしう愛敬づきをかしげなるを、いよいよほこりかにうちとけて、笑ひなどそぼるれば、にほい多く見えて、さるかたにいとをかしき人ざまなり。
あはつけしとはおぼしながら、まめならぬ御心は、これもえおぼし放つまじかりけり。
見たまふかぎりの人は、うちとけてる世なく、ひきつくろひそばめたるうはべをのみこそ見たまへ、かくうちとけたる人のありさまかいま見などは、まだしたまはざりきつることなれば、何心もなう、さやかなるはいとほしながら、久しう見たまはまほしきに、小君出で来るここちすれば、やをら出でたまひぬ。
渡殿の戸口に寄りゐたまへり。いとかたじけなしと思ひて、
「例ならぬ人はべりて、え近うも寄りはべらず」
「さて、今宵もや帰してむとする。いとあさましう、からうこそあべけれ」
とのたまへば、
「などてか、あなたに帰りはべりなば、たばかろはべるなむ」
と聞こゆ。
さもなびかしつべきけしきにこそはあらめ、童なれど、もの心ばえ、人のけしき見つべくしづまれるをと、おぼすなりけり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)
さっき小君が入ったまま、格子はまだ開け放してありましたので、そこから部屋の内を覗き見出来ます。近づいて部屋の西の方を見通されますと、格子のすぐそばに立てた屏風も、端の方が折り畳まれているし、目隠しの几帳も、暑いせいか、帷子を横木にうち上げてありますので、部屋の中が奥まですっかり見えるのでした。
灯りが二人の女の近くに燈されています。母屋の中ほどの柱に寄り添って、横向きに坐っているのが、自分の思いを懸けた女ではないのかと、まずお目を凝らされます。下には濃い紫の綾の単襲らしいのを着て、その上に、何かもう一枚、よくわからないけれど重ね着をしているようです。
頭の形の細っそりとして小さな、体つきも華奢で小柄な人が、大して見栄えのしない様子で坐っています。顔などを、さし向かいの人にもなるたけ見られないようにしていて、碁を打つ手も痩せているのを、袖口で手の先まで俺い、たしなみ深くかくすようにしています。
もう一人は東向きに坐っているので、何から何まで眺められます。白い羅 (ウスモノ) の単襲 (ヒトエガサネ) に、赤みのさした二藍色 (フタアイイロ) の小袿 (コウチキ) らしいのをしどけなく着て、紅の袴の腰紐を結んだあたりまで、胸をあらわにはだけて、見るからにぞんざいな様子をしています。
色はぬけるように白く愛らして、むっちり肥えた、背も高い女です。頭 (カシラ) つきや生えぎわがくっきりしていて美しく、目もとや口もとに愛嬌があふれ、はなやかな顔だちをしています。髪はふさふさと豊かで、そう長くはないけれど、頬に垂れた髪の端や、肩にかかったあたりがすっきりとさわやかで、どこといって欠点も見えず、まずは美人に感じられるのでした。
なるほどこれなら親の伊予の介は、さぞ世にもまれな娘と自慢に思っているだろうと、源氏の君は興味を覚えて御覧になります。
この上は心持にもう少し、しっとりとした落ち着きをつけ加えて欲しいものだ、などちらっと御覧になっただけでお感じになられるのでした。どうやらそこそこの才気はあるらしく、碁を打ち終わって、だめを詰めるところなども機敏そうな感じで、陽気に騒々しくはしゃいでいます。奥の人はひっそりと静かに落ち着いて、
「ちょっとお待ちになって、そこは、持 (ジ) でしょう。こちらの劫 (コウ) を先に片づけましょう」
などと言いますが、相手は、
「いいえ、今度は負けてしまいましたわ。隅のここと、ここは何目 (ナンモク) かしら、どれどれ」
と、指を折っては、
「十、二十、三十、四十」
と、目を数える様子は、す速くきびきびしていて、音に聞こえた伊予の湯桁 (ユゲタ) の数の多さでさえ、さっさと数え上げてしまいそうです。ただ少々品がたりないように見えます。
小柄な人は袖ですっかり口元をかくし、顔をあらわには見せないようにつつましくしていますけれど、源氏の君がじっとお目をこらしていらっしゃいますと、だんだんその横顔が見えてきます。瞼がすこし腫れぽったく、鼻筋などもすっきりせず老けてみえ、つややかさもありません。どちらかといえば器量のよくない方ですが、その欠点をたいそう上手につくろっていて、もう一人の器量好の若い娘よりは、心の嗜みが深そうで、誰の目も惹きつけそうな様子をしています。
朗らかで愛嬌のあるきれいな娘は、いっそう得意そうにはしゃいで賑やかに笑いさざめいている様子が、はなやかで色っぽく、こちらはまたそれなりになかなか魅力があります。
源氏の君は、蓮っ葉な女だとお思いになりながらも、浮気っぽいお心は、この女もまた無関心に見過ごせないようでした。
これまで愛されてこられた女 (ヒト) たちは、誰もみな源氏の君の前では気どっていて打ち解けず、いつもとり澄ました姿ばかりしか御覧になりません。こんんあい油断した無防備な女の様子を覗き見したりなさることは、これまで経験なさらなかったことなので、女たちが何の警戒心もなく、すっかり自分に見られているのは気の毒だとは思うものの、もっと長く見ていたいとお思いになります。
それでも、どうやら小君が出てきそうな気配なので、そっとその場から離れておしまいになりました。
さるげなく渡り廊下の戸口に、前から居たように寄りかかっていらっしゃいます。
そこへ小君はもどってきて、こんな所に長くお立たせしてもったいないと思いながら申し上げました。
「珍しい客が来ていて、姉の近くへ寄りつくこともできませんでした」
「それでは、今夜もこのまま帰そうとするのだね。それはあんまりひどいじゃないか」
とおっしゃるので、小君は、
「どうしてそんんあことを。客が、あちらへ帰りましたら、何とか方法を考えます」
と申し上げます。
それでは、何とかなりそうな女の様子なのだろう。この子は子供ながらも、状況判断が出来るし、人の顔色も読めるほど、しっかりしたところがあるからとお考えになるのでした。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ