〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/26 (火) 桐 壺 (二十)

この大臣 (オトド) 御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏 (ウチ) のひとつ后腹 (キサキバラ) になむおはしければ、いづかたにつけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮 (トウグウ) の御祖父 (オホジ) にて、つひに世の中を知りたまふべき、右の大臣の御勢いは、ものにもあらず圧 (オ) されたまへり。
御子 (オンコ) どもあまた、腹腹 (ハラバラ) ものしたまふ。
宮の御腹は、蔵人 (クラウド) の少将にて、いと若をおかしきを、右の大臣の、御中はいとよからねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の宮にあはせたまへり。
劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。
源氏の君は、上の常に召しまつはせば、心やすく里住みもえしたまはず。
心のうちには、ただ藤壺のありさまを、たぐひなしと思ひきこえて、さやうならむ人をこそ見め、似る人なるもおはしけるかな、大殿の君、いとおかしげにかかしづかれたる人とは見ゆれど、心ににもつかずおぼえたまひて、幼きほどの心ひとつにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。
大人になりたまひてのちは、あやしやう御簾のうちにも入れたまはず。
御遊びのをりをり、琴笛の音に聞こえかよひ、ほのかなる御声をなぐさめにて、内裏住みのみこのましうおぼえたまふ。
五六日さぶらひたまひて、大殿 (オホイトノ) に二三日など絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なくおぼしなして、いとなみかしづききこえたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

この左大臣は帝の御信任がたいそう厚い上に、北の方と帝とは、同じ后腹 (キサキバラ) の御兄妹ですから、どちらから見ても、まことに申し分のない華々しい御立場の上に、今また源氏の君までこうして婿君として迎えられましたので、東宮の御祖父として御即位の暁には、天下の政を執り行われるはずの右大臣のこれまでの御威勢は、もの数でもなく気圧 (ケオ) されてしまいました。
左大臣はたくさんの男のお子たちを夫人たちの腹々に生ませていらっしゃいます。姫君と同じ宮腹 (ミヤバラ) のお子の蔵人の少将は、まだ若々しく御器量もすぐれているので、日頃仲の悪い右大臣もそれを見過ごすことは出来ず、可愛がっておられる四の姫君にめあわされました。左大臣に負けず、この少将を大切になさる力の入れようは、ほんとうに望ましい理想的な婿舅の御関係でした。
源氏の君は帝が終始お側にお召し寄せになりお離しにならないので、ゆっくり里住まいでくつろぐこともおできになりません。
心の中では藤壺の宮だけを、この世でただ一人のすばらしいお方として恋い慕われていて、
「もし妻にするなら、あのようなお方とこそ結婚したい。あのお方に似ている女など、この世にはとてもいそうにない。左大臣の姫君は、器量も申し分ないし、大切に育てられたいかにも上品な深窓の人だけれど、どこか性が合わないような気がする」
と、ひそかにお思いになって、幼心の一筋に、藤壺の宮のことばかりを思いつづけて、苦しいほどに恋い悩んでいらっしゃるのでした。
元服をされてからの後は、帝もこれまでのようには、源氏の君を御簾の中へ入れてくださいません。
管弦の御遊びの折々、藤壺の宮の御琴に合わせて、源氏に君が笛を吹く時などに、ひそかに心を通わせ、かすかに漏れ聞こえてくる藤壺の宮のほのかな声音 (コワネ) に、わずかに心を慰めていらっしゃるのでした。
それだけでも、源氏の君にとっては宮中のお暮らしが魅力なのです。
五、六日も宮中で過ごされ、左大臣家には二、三日というふうに、とぎれがちにしかお泊りになりません。
それも左大臣は、なにしろまだ幼いお年頃だからと、何事にもとがめだてもせず、ただひたすら大切にもてなしていらっしゃるのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ