源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。
いづれの御方も、われ人に劣らむとおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。
母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、いとよう似たまへりと、典侍
(ナイシノスケ) の聞こえけるを、若き御ここちにいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。
上も限りなき御思ひどちにて、
「な疎 (ウト) みたまひそ。あやしくよそへきこえつべきここちなむする。なめしとおぼさで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似らりしゆゑ、かよひ見えたまふも、似げなからずなむ」
など聞こえつけたまへれば、おさなごこちにも、はかなき花紅葉につけても 心ざしを見たてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うちそへて、もとよりの憎さも立ちいでて、ものしとおぼしたり。
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむかたなく、うつくしげなるを、世の人光君
(ヒカルキミ) と聞こゆ。藤壺ならびたまひて御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。
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