〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/24 (日) 桐 壺 (十七)

源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。
いづれの御方も、われ人に劣らむとおぼいたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うちおとなびたまへるに、いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。
母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、いとよう似たまへりと、典侍 (ナイシノスケ) の聞こえけるを、若き御ここちにいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、なづさひ見たてまつらばやとおぼえたまふ。
上も限りなき御思ひどちにて、
「な疎 (ウト) みたまひそ。あやしくよそへきこえつべきここちなむする。なめしとおぼさで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似らりしゆゑ、かよひ見えたまふも、似げなからずなむ」
など聞こえつけたまへれば、おさなごこちにも、はかなき花紅葉につけても 心ざしを見たてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うちそへて、もとよりの憎さも立ちいでて、ものしとおぼしたり。
世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほにほはしさはたとへむかたなく、うつくしげなるを、世の人光君 (ヒカルキミ) と聞こゆ。藤壺ならびたまひて御おぼえもとりどりなれば、かかやく日の宮と聞こゆ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)
源氏の君は、帝のお側を離れたことがありませんので、時々通うお方もそうですが、まして誰よりもしげしげと帝がいらっしゃる藤壺では、宮もそうそう恥ずかしがって、源氏の君からかくれてばかりいるわけにもまいりません。
どの后たちも、御自分が一番美しいと思っていらっしゃることでしょう。たしかにそれぞれに、とてもお綺麗にはちがいありませんが、なにしろ御年配の方々が多い仲で、藤壺の宮お一人だけは、とりわけお若くかわいらしくていらっしゃいます。
恥ずかしがられて源氏の君に見られまいと、つとめてかくれようとなさるのですが、何かの拍子に、ちらりと自然に、垣間見えてしまうことがあるのです。
母君の面影は全く覚えていないところへ、
「藤壺の宮さまは、亡き母君さまとそっくりでいらっしゃいますと」
と、典侍が話すものですから、子供心にもこの藤壺の宮を、
「ほんとうになつかしいお方だ」
と思い込み、
「いつもあのお方の側へ行っていたい。もっと馴れ馴れしく親しくさせていただきたい」
と、憧れていらっしゃるのでした。
帝も、おふたりとも限りなくいとしくお思いになっていらっしゃるので、藤壺の宮に、
「どうかこの子に冷たくなさらないで下さい。どういうわけか不思議にあなたがこの子の亡くなった母のような気がします。不躾な者だと思わないで可愛がってやって下さい。この子の母は顔つきや目許などは、とてもこの子によく似ていました。だからあなたとこの子が、母子のように見えても不自然ではないのでしょう」
などと頼むように仰るので、それを聞いている源氏の君は幼心にも、さりげない春の花や秋の紅葉をお贈りしては、親愛の気持ちをお見せになり、お慕いしていらっしゃいます。
それを見ると、弘徽殿の女御は、また藤壺の宮ともおん仲がよくないのに加えて、桐壺の更衣に対する旧い憎悪も再燃してきて、源氏の君にまでも、新たな憎しみが湧いてくるようでした。
帝が世にまたとない美貌と御覧になり、世間にも評判の高い藤壺の宮の御器量に比べても、源氏の君の艶やかなお美しさは、尚一層たち優って、たとえようもなく愛らしいので、世の人々は誰いうとなく 「光る君」 とお呼び申し上げています。藤壺の宮もまた源氏の君とともに、それぞれに帝のご寵愛が格別なので、こちらは 「輝く日の宮」 と申し上げるのでした。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ