〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/21 (木) 桐 壺 (十五)

そのころ、高麗人 (コマウド) の参れるなかに、かしこき相人 (ソウニン) ありけるをきこしめして、宮の内に召さむことは、宇多の帝の御誡 (イマシメ) あれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚館 (コイロクカン) につかはしたり。
御後見だちつかうまつる右大弁 (ウダイベン) の子のやうに思はせて率 (イ) てたてまつるに、相人おどろきて、あまたたび傾きあやしぶ。
「国の親となりて、帝王の上 (カミ) なき位にのぼるべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。
おほやけのかためとなりて、天下を輔 (タス) くるかたにて見れば、またその相違 (タガ) ふべし」
と言ふ。
(ベン) もいと才 (ザイ) かしこき博士 (ハカセ) にて、言ひかはしたることどもなむ、いと興ありける。
文など作りかはして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばえを、おもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。
朝廷 (オオヤケ) よりも多くの物賜はす。おのづからことひろごりて、漏らさせたまへねど、春宮 (トウグウ) の祖父大臣 (オホジオトド) など、いかなることにかろおぼし疑ひてなむありける。
帝、かしこき御心に、倭相 (ヤマトサウ) をおほせて、おぼしよりにける筋なれば、今までこの君を、親王 (ミコ) にもなさせたまはざりけるを、相人はまことのかしこけり、とおぼして、無品 (ムホン) の親王 (シンノウ) の外戚 (ゲサク) の寄せなきにてはただよはさじ、わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷 (オホヤケ) の御後見 (ウシロミ) をするなむ、行く先も頼もしげなめることとおぼし定めて、いよいよ道々 (ミチミチ) の才 (ザエ) をならはせたまふ。
きはことにかしこくて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王 (ミコ) となりたまひなば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜 (スクヨウ) のかしこき道の人に、勘 (カンガ) へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべくおぼしおきてたり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)
その頃、高麗人が来朝しましたが、その中に、よく当る観相家がいることを、帝がお聞きこみになりました。宮中に観相家を召されることは、宇多の帝の御遺言に禁じられていますので、ごく内密にして、若宮を彼らの宿舎の鴻臚館 (コイロクカン) へおお遣わしになりました。御後見役としてお仕えしている右大弁 (ウダイベン) の子息のように若宮を仕立ててお連れしたのです。
「このお子は、将来、国の親となり、帝王の最高の位にのぼるべき人相をそなれていらっしゃいます。ところが、帝王となるお方として占いますと、国が乱れ、民の憂いとなることが起こりましょう。それなら国家の柱石となって、天下の政治を補佐するお方として観立てますと、その相ともまた、違うようでございます」
と、言います。右大弁も、かなり学才のすぐれた博士なので、二人で話し合った内容は、たいそう興味深いものでした。漢詩などお互いに作り合ったりして、観相家は、
「今日明日にも帰国しようという時になって、このような稀有な相を備えたお方にお会い出来た喜びは、かえってお別れの悲しさを思い知らされることなりましょう」
と、別離の心境を興味深く詩に詠みました。若宮もそれに対して情緒の深い環氏をお作りになり、すぐお応えになったのを、観相家は言葉を極めて賞讃した上、数々の見事な贈り物などを献上いたし、朝廷からも、観相家におびただしい品々を賜りました。
自然にこの話が世間に伝わり広がって、帝からはいっさいお洩らしにならないのに、東宮の祖父君の右大臣などは、
「いったいとういうおつもりで観相などおさせになったのだろうか」
と、気をまわして疑っておられます。
帝は深い尊い御思慮から、すでに若宮をわが国の観相家にも占わせていらっしゃって、内々お考えになっていたことなので、これまで若宮を親王にもなさらなかったのです。それにしてもあの高麗の観相家は、実にすぐれていたと、お考え合わされるのでした。
帝は若宮を無位の親王で、外戚の後盾もない心細い立場のまま、惨めに過ごさせるようなことはなさりたくない。ご自身の御代さえいつまで続くやらはかり難いことなのだから、いっそ若宮を臣下に下ろして、朝廷の補佐役に任ぜられた方が、将来もかえって安心出来るだろうと御判断なさって、若宮はいよいよ、それぞれ道の学問を習わせていらっしゃいます。
何につけても、際立って御聡明で、臣下にするのはまことに惜しいけれども、親王になられたら、即位のことなどでまた疑いをかけられるに相違ないとお考えになり、宿曜 (スクヨウ) 道の達人にも判断をおさせになりましたが、やはり同じようにお答えしますので、臣籍にして源氏の姓をお与えになることに御決心なさったのでした。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ