〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/21 (木) 桐 壺 (十四)

今は内裏 (ウチ) にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書 (フミ) 始めなどせさせたまひて、世に知らずさとうかしこくおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。
「今は誰 (タレ) も誰もえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」
とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御共には、やがて御簾 (ミス) の内に入れたてまつりたまふ。
いみじき武士 (モノノフ) 、仇敵 (アダカタキ) なりとも、見てはうち笑 (エ) まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放 (ハナ) ちたまはず。
女御子 (オンナミコ) たち二所 (フタトコロ) 、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。
御かたがたも隠れたまはず。今よりなまめかしうはずかしげにおはすてば、いとをかしううち解 (ト) けぬ遊び種 (グサ) に、誰も誰も思ひきこへたまへり。
わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音 (ネ) にも雲居 (クモイ) を驚かし、すべていひ続けば、ことことしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)
若君はそれからはずっと宮中にばかりいらっしゃいます。
七つになられたので、読書始めの式をなさいましたが、類なく御聡明なので、帝は空恐ろしいようにさえ御覧になられるのでした。
「今となっては誰も、この子を憎むことは出来ないでしょう。母の亡くなったということに免じて、可愛がってやって下さい」
とおっしゃって、弘徽殿などへお越しになる時も一緒にお連れになり、そのまま御簾の内へまでお入れになります。たとえ荒々しい武士や仇敵でも、この若宮を見れば、思わず微笑まずにはいられないほどの可愛らしいので、さすがの弘徽殿の女御も、冷淡に突き放すことはおできにならないのでした。
この女御のお産みになった女御子がお二人いらっしゃいますが、とても若宮に比べることもできません。
ほかの女御や更衣の方々も、この若宮はまだお小さいので気を許して、お顔を隠したりはなさいません。
ところが若宮は、お小さくても今からもうしっとりとつややかで、こちらが気の引けるような気品をたたえていらっしゃるので、ちょっと気の置ける面白い遊び相手として、誰も誰も好意をもっていらっしゃいます。
正規の学問としての漢学はもとより、琴や笛のお稽古でも、若宮は大空まで響くような絶妙の音色を出されて、宮中の人々を驚かせます。
こうして若宮のことをお話しつづけますと、あまり仰山すぎて、話すのがいやになってしまいそうな御様子のお方なのでした。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ