〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/20 (水) 桐 壺 (十三)
月日経て、若君参りたまひぬ。いちぢこの世のものならず、きよらかにおよすけたまへれば、いちゆゆしうおぼしたり。
明くる年の春、坊さだまりたなふにも、いと引き越さまほしうおぼせど、御後見すべきひともなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危うくおぼし憚りて、色にもいださせたまはずなりぬるを、さばかりおぼしたれど、限りこそありけれと、世人 (ヨヒト) も聞こえ、女御も御心おちゐたまひぬ。
かの御祖母北の方、慰みかたなくおぼし沈みて、おはすらむ所にただ尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡 (ウ) せたまひぬれば、またこれを悲しびおぼすこと限りなし。
御子六つになりたまふ年なれば、このたびはおぼし知りて恋ひ泣きたまふ。
年ごろ馴れむつびきこえたまへるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、かへすかへすのたまひける。
(口語訳・瀬戸内 寂聴)
月日は過ぎてゆき、ようやく若宮が宮中へお上がりになりました。
いよいよこの世の人かとも思えないほど、前よりいっそう美しく御成長なさっていられますので、あまりの美しさに、もしや早死にでもなさるのではないあkと、帝はかえって不安にさえお感じになります。
明くる年の春、東宮をお決めになる時にも、帝は何とかして若宮に一の宮を越えさせ、東宮に立たせたいと、心ひそかにお思いになりましたけれど、若宮には御後見をする人もなく、またそのような順序を乱すことは、世間が納得しそうもないことなので、かえって若宮のためにはよくないだろうと御思案なさいまして、御本心は顔色にもお出しにならなかったのです。
「あれほど可愛がっていらっしゃったが、ものには限界があって、そこまでは出来なかったのだろう」
と、世間の人々も噂しあい、弘徽殿の女御もこれではじめて御安心なさいました。
若宮の祖母にすれば、それもすっかり気落ちなさり、慰めようもないほど愁いに沈みこみ、
「今はもう一日も早く、亡き人のおられる所を、探し求めてそこへ行ってしまいたい」
とばかり祈りつづけていらっしゃいました。その験 (シルシ) があったのでしょうか、とうとうお亡くなりになりました。
帝はまた、これを悲しまれることは限りもないほどでした。
若宮も六つになられた年のことでしたので、今度は祖母君の死をよくお分かりになり、恋い慕ってお泣きになります。祖母君も、これまで長い年月身近にお仕えし、馴れ親しんでこられただけに、お残ししてこの世を去る悲しさを、かえすがえすお話してお亡くなりになったのでした。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ