〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/20 (水) 桐 壺 (十二)
このころの御けしきを見たてまつる上人 (ウエヒト) 、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところもにしたまふ御方にて、ことにもあらずおぼし消 (ケ) ちてもてなしたまふなるべし。
月も入りぬ。
雲のうへも 涙にくるる 秋の月 いかですむらむ 浅茅生 (アサジフ) の宿

おぼしめしやりつつ、燈火 (トモシビ) をかかげ尽くして起きおはします。
右近 (ウコン) の司 (ツカサ) の宿直奏 (トノイモウシ) の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。
人目をおぼして、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。
(アシタ) に起きさせたまふとても、明くるも知らで、とおぼしいづるにも、なほ、朝政 (アサマツリゴト) はおこたらせたまひぬべかめり
ものなどもきこしめさず、朝餉 (アサガレイ) のけしきばかり触れさせたまひて、大床子 (ダイショウシ) の御膳 (オモノ) などは、いと遥かにおぼしめしたれば、陪膳 (ハイゼン) にさぶらふ限りは、心苦しき御けしきを見たてまつり嘆く。
すべて、近うさぶらぐ限りは、男女、いとわりなきわざかなと言ひあはせつつ嘆く。
さるべき契りこそおはしましけめ、そこらの人のそしり、恨みをも憚らせたまがず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなりと、人の朝廷 (ミカド) の例 (タメシ) まで引きいで、ささめき嘆きけり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)
この頃の帝の御様子を拝察している殿上人や女房たちも、はらはらして聞いていました 。
もともとこの女御は、ひどく我の強い、とげとげしい御気性なので、帝の御傷心など無視しきってそんな振る舞いをなさるのでしょう。
やがて月も隠れてしまいました。
雲のうへも 涙にくるる 秋の月 いかですむらむ 浅茅生 (アサジフ) の宿
(雲の上と呼ばれるこの宮中でさえ、わたしの涙でかき暗 (ク) れている月よ。ましてあの草深い宿では、どうして澄むことがあろう)

と、母君の家を思いやりながら、長恨歌の玄宗皇帝が
   <秋の燈挑げ尽くして未だ眠ること能はず>
と歌われているように、燈心をすっかりかき上げてしまって燃え尽きる夜更けまで、起きておいでになります。右近衛府 (ウコンエフ) の仕官が宿直 (トノイ) の名乗りをする声が聞こえて来るのは、もう真夜中の一時頃になったのでしょう。
人目をはばかられて、御寝所にお入りになっても、うとうとすることもお出来になりません。
朝お目覚めになりましても、更衣の御生前は、おふたりで夜の明けたのも知らず共寝して、朝政 (アサマツリゴト) を怠っていたことを恋しくお思い出しになられます。
それにつけても、更衣と愛しあった昔の日々がなつかしくてならず、やはり今もついつい朝政は怠りがちになられるようでした。
お食事も召し上がらず、略式の朝食に、ほんの形ばかり箸をおつけになるだけで、清涼殿で召し上がる正式のお膳部などは、まったく見向きもなさらず手もお触れにならない御様子なので、配膳に伺候するすべての者たちは、帝の深いご傷心の有様をおいたわしいと嘆きあうのでした。
帝のお側近くお仕えする人々はみな、男も女も、
「本当に困ったことですね」
と、云いあっては嘆いています。
「こうなる前世の約束がきっとおありになったのでしょうね。帝は、更衣の事で、多くの人々から恨まれたり、そしられたりなさっても一向にお気にかけず、このことに関してだけはものの道理も失われ、更衣の亡くなられた今はまたこんなふうに、世の中のことを何もかも思い捨てられたようになっていかれるのは、まったく困ったことです」
などと、よその国の朝廷の例まで引き合いに出して、ひそひそと歎きあうのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ