〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/16 (土) 桐 壺 (九)
宮城野の 露吹きむすぶ 風の音 小萩がもとを 思ひこそやれ
とあれど、え見えたまひ果てず。
「命長さの、いとつらう思うたまへ知らるるに、松の思はむことだに、はづかしく思うたまへれば、百敷 (モモシキ) に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたびうけたまはりながら、自らはえなむ思うたまへ立つまじき。若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむおぼし急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思うたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、いまいましう、かたじけなくなむ」
とのたまふ。
宮は大殿籠りにけり。
「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに、夜ふけはべりぬべし」
とて急ぐ。
「くれまどふ心の闇も堪へがたき片端 (カタハシ) をだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、わたくしにも、心のどかにまかでたまへ。
年ごろ、うれしくおもだたしきついでにて、立ち寄りたまひしものを、かかる御消息にて見たてまつる、かへすがへすつれなき命にはべるかな。
生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、 『ただ、この人の宮仕への本意、かならずとげさせたてまつれ。われ亡くなりぬとて、くちをしゅう思ひくづほるな』 と、かへすがへすいさめおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなきまじらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに、いだし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、まじらひたまふめじつるを、人の嫉み深くつもり、やすらかぬこと多くなり添ひはべりつるに、横様 (ヨコサマ) なるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かえりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思うたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」
と、言ひもやらずむせかへりたまふほどに、夜もふけぬ。
(口語訳・瀬戸内 寂聴)
宮城野の 露吹きむすぶ 風の音 小萩がもとを 思ひこそやれ
( わたしに涙を催させ今日も吹きむせぶ風の声よ、その風の悲しい泣き声に、いじらしいお前がしのばれる。宮城野の小萩のようなお前が )
とお歌が添えられていましたが、悲しみのあまりしまいまでは読み通すことが出来ません。
「わが身の寿命の尽きないことが、つくづく辛いものだと思い知らされますにつけ、高砂の千古の老松までにまだ生き永らえているのかと、思われそうなのが恥ずかしゅうございますから、今さら貴い宮中へお出入りいたしますことは、晴れがましくて、何かと憚りも多いことでございましょう。
帝からの畏れ多いお言葉をたびたび承りながら、私自身は参内する決心がとてもつかないのでございます。
若君は、どれほどお分かりになっていらっしゃるのか、ただ早く宮中へ帰りたがってお急ぎの御様子ですから、それもごもっともと思いながらも、若宮にお別れするのが悲しく拝見しております。
そんなわたしの心の内の思いをどうか奏上して下さいまし。私は夫にも娘にも死別した不吉な身の上でございますから、こいうわたしのもとに若宮がいらっしゃることは、縁起が悪く畏れ多いことに思われまして」
と、おっしゃるのです。若宮はもうお寝みになっていらっしゃいます。
「若宮のお顔を拝ませていただいて、御様子なども奏上したいのですが、帝もお待ちかねでいらっしゃいましょうし、夜も更けてしまわないうちに、おいとまさせていただきます」
と、帰りをいそぎます。
「亡き子のために思い迷い、どうしてよいか分からぬ親心の闇に、耐えがたく辛い思いの片端だけでもお聞きいただき、胸も晴れるまでお話したいと存じますので、公のお使いとしてではなく内々にごゆっくりお越し下さい。この数年来は、嬉しく晴れがましい折においで下さいましたのに、こういう悲しいお言伝 (コトヅテ) のお使者としてあなたさまにお目にかかろうとは、かえすがえすも恨めしい、わたしに命の長さでございます。
亡くなりました主人は、生まれた時から、わたしどもが望みをかけていた娘でございました。亡夫の大納言は、いまわの際まで、
『この人の宮仕えの本意を必ず遂げさせてあげるように。わたしが死んでも、情けなく志を挫けさせてはならぬ』
と、くれぐれもさとされ遺言としましたので、これという立派な後見も持たないのに宮仕えするのは、かえってしない方がましだと承知しながら、ただ亡夫の遺言にそむかぬようにと思って、宮仕えにさし出しました。
ところが、帝から身に余るまでの御寵愛をいただき、何かにつけ、もったいないほどの深いお志をお見せ下さいますあり難さを頼りにして、ほかの妃たちからは、人とも思われぬような情けない扱いをされる恥じを耐え忍びながら、なんとか宮仕えをつづけていました。そのうち、他の方々の嫉妬がだんだん深く積り、苦労が次第に大きくなってゆき、あげくの果ては横死同然に、とうとう亡くなってしまいました。
今ではかえって忝い筈の帝のご寵愛の深さを逆にお恨み申しているような有様でございます。これも、悲しみに理性をなくした愚かな親の愚痴でございましょうか」
と、言いも終らず、泣きむせかえるうちに、夜もすっかりふけてしまいました。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ