〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/15 (金) 桐 壺 (八)

「 『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、さむべきかたなく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けきなかに過ぐしたまふも、心苦しうおぼさるるを、疾く参りたまへ』 など、はかばかしうものたまはせやらず、おぼしつつまぬにしもあらぬ御けしきの心苦しさに、うけたまはり果てぬやうにてなむ、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」
とて、御文たてまつる。
「目に見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」 とて、見たまふ。
「ほど経ばすこしうちまぎるることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。
いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともにはぐくまぬおぼつかなさを、今はなほ昔のかたみになずらへてものしたまへ」
など、こまやかに書かせたまへり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

「 『あれからしばらくは、更衣の死が夢かとばかり思われて、ただ夢の中をさ迷っているような茫然とした心地であったが、ようよう心が静まるにつれ、かえって覚める筈もない現実であったと思い知るにつけても、耐え難い悲しみが一体どうしたら慰められるのだろうと語り合う相手さえない。せめてあなたと話したいので、何とか内密に宮中へ来て下さらぬだろうか。若宮が気がかりで、とかく涙がちなところに頼りなく暮らしているのも、どんあ様子かと心配で可哀そうでならない。何はともあれ、早く、来て下さい』
などと、帝はお終いまではきはきと仰せになれず、涙にむせ返られながら、それでも人に、あまりにお気が弱いと思われはしないかと、人目を憚られておいでのようにも拝されるのです。あまりにおいたわしくて、よく承ることも出来ないまま、退出して参ったのでございます」
といって、命婦は帝のお手紙を差し上げます。
「涙で目も見えぬ有様ですが、帝の畏れ多いお言葉を光にして拝見させていただきます」
と言って、母君はお読みになりました。
「時がたてば、少しは悲しみもまぎれるようになるだろうかと、その日の来るのを待ちながら暮らしているのに、月日がたつほど、いっそう悲しさは忍びがたくなるばかりなのは、どうにも術のないことです。幼い人がどうしているかと思いやりながら、あなたと一緒に育てられないのが心配でならないのです。今となってはやはり、このわたしを亡き人の形見と思って、宮中に来て下さい」
などと、こまやかに書いておありになるのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ