〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/15 (金) 桐 壺 (七)

命婦、かしこきまで着きて、門 (カド) 引き入るるより、けはひあはれなり。やもめずみなれど、人ひとりの御かしづきに、とっくつくろひたてて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇にくれてふし沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分いとど荒れたるここちして、月影ばかりぞ、八重葎 (ヤエムグラ)にもさはらずさし入りたる。
南面におろして、母君も、とみにえものものたまはず。
「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の、蓬生 (ヨモギフ) の露分け入りたまふにつけても、いとはずかしうなむ」
とて、げに堪ふまじく泣いたまふ。
「 『参りてはいとど心苦しう、心肝 (ココロギモ) も尽くるやうになむ』 と、典侍 (ナイシノスケ) の奏したまひしを、もの思うたまへ知らぬここちにも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」
とて、ややためらひて、仰 (オオ) せ言 (ゴト) 伝へきこゆ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

命婦は更衣のお里に着き、車を門に引き入れると、そこはもう、いいようもないもの淋しく悲しい気配が、あたりじゅうに漂い満ちているように感じられます。
母君は、夫に先立たれた心細い暮らしの中にも気を張り、更衣一人を大切に守り、人にひけをとらせぬよう、邸の内外にも何かとよく手入れして、体裁よく暮らしてこられました。
ところが更衣に先立たれてからは、悲しみのあまり、泣き沈んで庭の手入れも怠り、雑草も茂るにまかせ高くのび放題です。
野分にそれが吹き倒され、見るも無残に荒れはてた感じになっています。月の光ばかりは、生い茂った雑草にもさえぎられず、あたり一面にこうこうとさしいっています。
「今まで生き永らえるのさえ、つくづく辛うございますのに、畏れ多い勅使としてあなたが草深い荒れ庭の蓬の露を踏み分けて、こうしてお訪ねくださるにつけても、いっそうお恥ずかしく身の置き所もございません」
「こちらにお伺いいたしますと、それはもうおいたわしくて、魂も消え入るようでしたと、せんだって典侍 (ナイシノスケ) が帝に奏上なさっておられましたが、たしかにわたしのように物の情趣もわきまえない者にも、ほんにおいたわしくて、耐えきれない気持ちがいたします」
と言い、しばらく心を静めてから、帝のお言葉をお伝えいたしました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ