〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/15 (金) 桐 壺 (六)

はかなく日ごろ過ぎて、後 (ノチ) のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。
ほど経 (フ) るままに、せむかたなう悲しうおぼさるるに、御かたがたの御宿直 (トノイ) などにも絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。
「亡きあとまで、人の胸明くまじかりける人の御おぼえかな」 とぞと、弘徽殿 (コキデン) などにはなほ許しなうのたまひける。
一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほしいでつつ、親しき女房、御乳母 (メノト) などをつかはしつつ、ありさまをきこしめす。
野分だちて、にはかに膚寒き夕暮れのほど、常よりもおぼしいづること多くて、靫負 (ユゲヒ) の命婦 (ミョウブ) といふをつかはす。 夕月夜 (ユウヅクヨ) のをかしきほどにいだし立てさせたまひて、やがてながめおはします。
かうやうのをりは、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなるものの音 (ネ) をかき鳴らし、はかなく聞こえいづる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌 (カタチ) の、おもかげにつと添ひておぼさるるにも、闇のうつつにはなほ劣りけり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

悲しみのうちにいつとなく日々は過ぎてゆき、七日ごとの法要にも、帝はお心をこめて更衣のお里へ弔問の勅使を送られます。
そうした時が過ぎてゆくにつれ、帝はいっそう耐えがたいほどやるせなく悲しく、お妃たちを夜の御寝所にもふっつりお召しにならず、ただもう涙に溺れて明かし暮らしていらっしゃいます。そのお悲しみの御様子を拝する人々までが、涙に袖もしめりがちなうちに、いつの間にか露もしめっぽい秋になりました。
「亡くなった後まで、人の心をかき乱すあの女の憎らしいこと、それに相も変わらない帝のなんというご未練」
と、弘徽殿の如御は、今でも相変わらず、手きびしく悪口をいわれます。
帝は一の宮を御覧になるにつけても、更衣の若宮が無性に恋しくなられて、気心の知れた女房や御乳母などを、更衣のお里に遣わされて、若宮の御様子をお尋ねになります。
野分めいた荒々しい風が吹きすぎた後、急に肌寒くなった黄昏時に、帝は常にもまして亡き更衣や若宮を思い出されることが多いので、靫負 (ユゲヒ) の命婦 (ミョウブ) とう女房を更衣のお里にお遣わしになられました。
夕月の美しく冴えかえる時刻に、命婦をお使いに出されて、帝はそのままもの思いにふけっていらっしゃるのでした。
「こんな美しい月夜には、よく管弦の合奏などして楽しんだものだが、そういう折には、あの人はよりわけ美しく琴の音をかき鳴らし、さりげなく口にする歌のことばも、他の人とはどこか違っていて心にしみたものだ」
そんな折々の更衣の表情やしぐさなどが、ありし日のままに思い出されて、今もそのまま、幻になってひたとおん身に寄り添っているかのように思われます。
それでも、やはりその幻は、闇の中での逢瀬は、はっきり見た夢のそれより劣っていたという古歌とは反対に、闇の中でこの手に触れたあの生きていた人にはとうてい及ばなかったのでした。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ