〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/15 (金) 桐 壺 (五)

御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。
何事かあらむともおぼしたらず、さぶらふ人々の泣きまどひ、上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなろを、ましてあはれにいふかひなし。
限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりてなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車にしたひ乗りたまひて、愛宕 (オタギ) といふ所に、いといかめしうその作法したるに、おはし着きたるここち、いかばかりかはありけむ。
「むなしき御骸 (カラ) を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」
と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人々もわづらひきこゆ。
内裏 (ウチ) より御使あり。三位 (ミツ) の位贈りたまふよし、勅使来て、その宣命 (センミョウ) 読むなむ、悲しきことなりける。
女御とだにいはせずなりぬるが、あかずくちをしうおぼされるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。 これにつけても、憎みたまふ人々多かり。 もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞおぼしいづる。
さまあしき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉 (ソネ) みたまひしか、人がらのあはれに情ありし御心を、上の女房なども恋ひしのびあへり。 「なくてぞ」 とは、かかりをりにやと見えたり。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

こうした中でも、若宮をそのままお側に引きとめて、お顔をごらんになっていたいとお思いになりますけれど、母の喪中に若宮が宮中にいらっしゃるのは、前例のないことなので、仕方なく若宮も里方へ御退出になります。
若宮はまだ頑是なくて、何がおこったのかはお分かりにならず、女房たちが泣きまどい、帝までしきりに涙を流されるのを、不思議そうに眺めていらっしゃいます。
普通のありふれた親子の別れでさえ悲しいものなのに、まして母君との死別さえわきまえない若宮の哀れさはひとしおで、ことばもありません。
いくら名残を惜しんでも、こうした時の掟には限りがありますので、更衣の亡骸はやがて作法通りに火葬にされることになりました。
母君は娘と同じ煙になって、空へ上りかき消えてしまいたいと泣きこがれ、野辺送りの女房の車に追いすがるようにして乗りこみました。愛宕 (オタギ) の火葬場で、実におごそかに葬儀をとり行っている最中にやっとたどり着かれたそのお心のうちは、一体どんなだったことでしょう。
「むなしい亡骸を目の前にしながら、やはりまだ生きていられるようにしか思えないのが、いかにも辛いので、いっそ灰になられるのをこの目でたしかめて、今こそほうんとうに亡くなったのだと、ひたすら思いましょう」
と、賢そうに言われたので、途中、車からも転び落ちそうなほど、泣いて身を揉まれるので、たぶんこんなことと思ったと、女房たちも介抱しかねて困りはてました。
宮中から勅使が見えました。亡き更衣に三位 (ミツ) の位を贈られるとの宣命 (センミョウ) を読みあげるのが、いっそう悲しみを誘うのでした。
生前、女御 (ニョウゴ) とも呼ばせずに終ったのを、帝はいかにも残念で口惜しくお思いになり、せめてもう一段上の位だけでもと贈られたのでした。このことで、また更衣を憎むお妃たちが多いのでした。
そんな中にも、さすがにものの道理をわきまえた人々は、亡き人の顔だちや姿の美しかったこと、心ばえがおだやかで角がなく、憎めなかったことなどを、今さらのように思い出します。
帝の見苦しいまでの度をこした更衣への御寵愛のせいで、いじめたり、嫉んだりしたものの、更衣の人柄のしみじみ情愛深かったのを、帝のおそば付の女房たちも、恋しく思いだしてはなつかしんでいます。
<亡くてぞ人は恋しかりける> という古歌は、こうした折にこそふさわしいようにおもわれます。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ