〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/14 (木) 桐 壺 (四)

この御子三つになりたまふ年、御袴着 (ハカマギ) のこと、一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮 (クラヅカサ) 、納殿 (ヲサメドノ) の物を尽くして、いみじゅうさせたまふ。
それにつけても、世のそしりのみ多かれど、この御子のおよすけもておはする御容貌 (カタチ) 、心ばへ、ありがたくめづらしきまで見えたまふを、え妬みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、かかる人も世にいでおはするものなりけりと、あさましきまで目をおどろかしたまふ。
その年の夏、御息所 (ミヤスンドコロ) 、はかなきここちにわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。
年ごろ、常のあつさになりたまへば、御目馴れて、 「なほしばしこころみよ」 とのみのたまはするに、日々におもりたまひて、ただ五六日のほどに、いと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。
かかるをりにも、あるまじき恥もこそと心づかいして、御子をばとどめたてまつりて、忍びてぞいでたまふ。
限りあれば、さのみもえとどめさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、いふかたなく思ほさる。
いとにほひやかに、うつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしながら、言 (コト) にいでても聞えやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来しかた行く末おぼしめされず、よろずのことを、泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへも聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かのけしきにて臥したれば、いかさまにとおぼしめしまどはる。
輦車 (テグルマ) の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。
「限りあらむ道にも、おくれ先立たじと契らせたまひけるを、さりともうち捨てては、え行きやらじ」
とのたまはするを、女もいといみじと見たてまつりて、
 「限りとて 別るる道の 悲しさに いかまほしきは 命なりけり
いとかく思うたまへましかば」 と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じ果てむとおぼしめすに、
「今日始むべき祈りども、さるべき人々うけたまはれる、今宵より」
と聞こえ急がせば、わりなく思ほしながら、まかでさせたなふ。
御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。
御使の行きかふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、
「夜中うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬ」
とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。きこしめす御心まどひ、何ごともおぼしめし分かれず、籠りおはします。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

この若宮が三つになられた年、御袴着の儀式がありました。先に行われた一の宮の式に劣らないよう、内蔵寮 (クラヅカサ)や納殿 (ヲサメドノ) のすばらしい品々を、帝は惜しみなくお使いになり、それは立派になさいました。
それにつけても世間では、とかくの非難ばかりが多いのに、若宮が成長なさるにつれ、お顔やお姿、御性質などが、この上なくすぐれていらっしゃるので、さすがのお妃たちも、この若宮を憎みきることができません。
ましてものの情理をわきまえた人々は、これほど世にも稀なお方さえこの世に現れることもあるものかと、茫然として目を見張っています。
この年の夏、更衣ははっきりしない気鬱の病気になり、お里へ下がって養生なさりたいと願いましたが、帝は全くお暇を下さいません。
この何年か、更衣はとにかく病気がちでしたので、帝はそれに馴れきっておしまいになり、
「もうしばらく、このままで様子を見よう」
とおっしゃるばかりでした。
そのうち病状は日ましに重くなってゆき、ほんの数日の間に、めっきり衰弱なさり重態になりました。更衣の母君は泣く泣く帝にお願いして、ようやくお里へ下がるお許しをいただきました。
こういう場合にも、もしも退出の行列に何かひどい仕打ちをしかけられ、恥じをかかされるようなことがあってはと取り越し苦労をして、若宮は宮中に残されたまま、更衣だけがひそかに退出なさいます。
引き留めたくても宮中の作法によって限度があります。帝もこれ以上はどうにも止めようがなく、帝というお立場から、見送りさえ思うにまかせない心もとさを、言いようもなく辛くお感じになるのでした。
もともと更衣は、たいそうつややかで美しく、可憐なお方だったのに、今はすっかり面やつれなさっています。心には帝とのお別れをたまらなく悲しみながら、それを言葉に出すこともできず、今にも消え入りそうになっています。それを御覧になると、帝は過去も未来も一切お考えになれず、ただもう、あれこれと泣く泣くお約束なさるのですが、更衣はもうお返事さえできません。
眼つきなどもすっかり弱々しく、いかにもはかなさそうで、意識があるとも見えません。いつもよりいっそうなよなよと横たわっていらっしゃるばかりでした。
帝は御心痛のあまり気もそぞろで、なすすべもなく茫然としていらっしゃいます。
更衣のために、特別に輦車 (テグルマ) をお許しになる宣旨をお出しになられてからも、また更衣のお部屋に引きかえされて、やはりどうしても更衣を手放すことがおできになりません。
「死出の旅路にも、必ず二人で一緒にと、あれほど固い約束をしたのに、まさかわたしひとりをうち捨てては、去って行かないでしょう」
と、泣きすがり仰せになる帝のお心が、更衣もこの上なくおいたわしく切なくて、
  限りとて 別るる道の 悲しさに いかまほしきは 命なりけり
    (今はもう、この世の限り、あなたと別れ、ひとり往く死出の旅路の淋しさに、
        もっと永らえ命の限り生きていたいと思うのに )

「こうなることと、前々からわかっておりましたなら」
息も絶え絶えにやっとそう口にした後、まだ何か言いたそうな様子でしたが、あまりの苦しさに力も萎え果てたと見え言葉がつづきません。
帝は分別も失われ、いっそこのままここに引き留め、後はどうなろうと、最後までしっかり見とどけてやりたいとお思いになるのでした。ところが傍から、
「実は今日から始めることになっていた御祈祷の支度を整えまして、効験あらたかな僧たちが、もうすでに里の方で待っております。御祈祷は今夜かでして」
と、申しあげ、しきりにせかせますので、帝はたまらないお気持ちのまま、今はどうしようもなく退出をお許しになりました。
帝はその夜は淋しさと不安でお心がふさがり、まんじりともなさらず、夜を明かしかねていらっしゃいました。
お里へお見舞いにやられたお使いが、まだ帰ってくる時刻でもないのに、気がかりでたまらないと、しきりに話していらっしゃいました。
更衣のお里では、
「夜なかすぎに、とうとうお亡くなりになりました」
と、人々が泣き騒いでいるのを聞き、勅使もがっかり気落ちして、宮中へもどってまいりました。
それをお聞きになった帝は、御悲嘆のあまり茫然自失なさり、お部屋に引き籠っておしまいになります。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ