〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/14 (木) 桐 壺 (三)

かしこき御蔭をば頼みきこえながら、おとしめ疵を求めたまふ人は多く、わが身は、か弱くもはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。
御局は桐壺なり。あまたの御かたがたを過ぎさせたまひて、ひまなき御前わたりに、人の御心をつくしたまふも、げにことわりと見えたり。
まうのぼりたまふにも、あまりうちしきるをりをりは、打橋 (ウチハシ) 渡殿 (ワタドノ) のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣 (キヌ) の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。
またあり時には、えさらぬ馬道 (メドウ) の戸をさしこめ、こなたかなた、心をあはせて、はしためわづらはせたまふ時も多かり。
事にふれて、数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿 (コウロウデン) にもとりさぶらひたまふ更衣の曹司 ( ソウシ) を、ほかに移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむかたなし。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

帝の、身に余る御寵愛だけを頼りにおすがりしている更衣は、何かにつけさげすみ、あら探しをする人々の多い中では心細くてなりません。
もともと腺病質で弱々しく、いつまで生きられることやらと不安なのでした。
帝のあまりにも深すぎる御寵愛がかえって仇になり、さまざまな気苦労の絶える間もないのでした。
更衣のお部屋は桐壺です。桐壺は帝のいつもおいでになる清涼殿から一番遠い位置にありました。帝がお通いになる時には、多くの妃たちのお部屋の前を、素通りなさらなければなりません。それもひっきりなしにお通いになるので、それを見て無視された妃たちが妬ましく恨みに思うのも当然なことでした。
また、更衣が召されて清涼殿へ上がる時も、あまりそれが度重なる折々には、打橋 (ウチハシ) や渡り廊下の通り道のあちこちに、汚いものなどを撒き散らし怪しからぬしかけをして、送り迎えのお供の女房たちの衣裳の裾が我慢できないほど汚され、予想も出来ないような、あくどい妨害をしかけたりします。
また時には、どうしてもそこを通らなければならない廊下の戸を、あちら側とこちら側でしめし合わせて閉ざし、外から錠をさして、中に更衣やお供の女房たちを綴じ籠めて恥じを欠かし、途方に暮れさせるようなこともよくありました。
こうして、何かにつけて、数え切れないほどの苦労が増すばかりなので、更衣はそれを苦に病んで悩みつづけ、すっかりふさぎ込んでしまいました。
それを御覧になると、帝はますます不憫さといとしさがつのられるのでした。そこで、それまで後涼殿にお部屋をいただいて住んでいた、ひとりの更衣を外に移すようにお命じになり、そのあとを愛する更衣が清涼殿に召された時に使うようにしておしまいになりました。
追われた更衣の身になれば、どんなにか口惜しく、その恨みは晴らしようにもなかったことでしょう。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ