〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 
2008/02/14 (木) 桐 壺 (二)
さきの世にも、御契りや深りけむ、世になくきよらなる玉の男御子 (ヲノコミコ) さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせ御覧ずるに、めづらかなるちごの御容貌 (カタチ) なり。一の御子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲 (マウ) けの君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物 (ワタクシモノ) に思ほしかしづきたまふこと限りなし。
はじめよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆 (ジョウズ) めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びのをりをり、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづまうのぼらせたまふ。
ある時には大殿籠 (オオトノゴモ) りすぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのすから軽きかたにも見えしを、この御子生まれたまひてのちは、いと心ことに思ほしおきてたれば、坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめりと、一の御子の女御はおぼし疑へり。
人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、御子たちなどもおはしませば、この御方の御いさめのみぞ、なほわづらわしう、心苦しう思ひきこえさせたまひける。
(口語訳・瀬戸内 寂聴)
それにしても、よほど前世からのおふたりのご縁が深かったのでしょうか、やがて、世にもないほど美しい玉のような男の御子さえお生まれになったのです。
帝は早くこの若宮にお会いになりたく、待ちきれなくて急いで宮中に呼び寄せてごらんになると、それはもう、たぐいまれな美しく可愛らしいお顔の若宮なのでした。
すでにいらっしゃる一の宮は権勢高い右大臣の娘の弘徽殿 (コキデン) の女御がお生みになったので、立派な外戚の後見がしっかりして、先々まちがいなく東宮 (トウグウ) に立たれるお方と、世間の人々も重く見て大切にお扱いしていました。けれどもこの新しい若宮の、光り輝くばかりのお美しさには比べようもありません。
帝は表向き一の宮を一応大切になさるだけで、この若宮の方を御自分の秘蔵っ子として、限りなくお可愛がりになるのでした。

母君の更衣も、もともと普通の女官として、お仕えするような軽い身分ではなかったのでした。
れきっとした御身分の方として世間からも大切に尊敬され、高貴の方らしい風格も備えいらっしゃったのです。
ところが、帝が御寵愛あまりに、寸時もお側から離されないばかりか、面白い音楽のお遊びの時や、何によらず風流な催し事がある時などには、誰よりもまず先に更衣をお呼び寄せになります。
時にはおふたりで朝おそくまで共寝のままおすごしになり、その日もひきつづきお側にとどめおかれるということもあります。
そんなふうに、夜も昼も目に余るほどお側に引きつけて離そうとなさらないので、かえって、更衣らしくもないと自然軽々しく見られる嫌いもあったのでした。
さすがに、若宮がお生まれになってからは、帝も更衣のお扱いをすっかり重々しくお改めになりました。それで、もしかすると、この若宮が東宮に立たれるのではないかと、一の宮の母女御は疑いはじめました。この弘徽殿の女御はどの妃よりも先に入内されて、帝はとりわけ大切にされ、御子たちもたくさんいらっしゃるので、このお方の御意見だけは無視なさることができません。常に煙たくわずらわしくお思いになっていらっしゃいました。
新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ