皆しづまりたるけはひなれば、かけがねをこころみに引きあげたまへれば、あなたよりは鎖
(サ) さざりけり。
几帳を障子口に立てて、火はほの暗きに見たまへば、唐櫃 (カラヒツ)
だつ物どもを置きたれば、みだりがはしきなかを、分け入りたまへば、ただひとりいとささやかにて臥したり。
なまわづらはしけれど、上なる衣 (キヌ) 押しやるまで、求めつる人と思へり。
「中将召しつればなむ、人知れぬ思ひのしるしあるここちして」 とのたまふを、ともかくも思ひわかれず、ものにおそはるるここちして、
「や」 とおびゆれど、顔に衣 (キヌ) のさはりて、音にも立てず。
「うちつけに、深かからぬ心のほどと見たまふらむ、ことわりなれど、年ごろ思ひわたる心のうちも、聞こえ知らせむとてなむ。かかろをりを待ちいでたるも、さらに浅くはあらじと思ひなしたまへ」
と、いとやはらかにのたまひて、鬼神 (オニカミ)
もあらだつまじきけはひなれば、はしたなく、 「ここに、人」 とも、えののしらず。
ここちはた、わびしく、あるまじきこと戸思へば、あさましく、
「人違 (タガ) へにこそはべるめれ」
と言ふも息の下なり。消えまどへるけしき、いと心苦しくらうらげなれば、をかしきと見たまひて、
「違 (タガ) ふべくみあらぬ心のしるべを、思はずにもおぼめいたまふかな。すきがましきさまには、よに見えたてまつらじ。思ふことすこし聞こゆべきぞ」
とて、いとちひさやかなれば、かき抱きて、障子のもと出でたまふにぞ、求めつる中将だつ人来あひたる。
「やや」 とのたまふに、あやしくて、探り寄りたるにぞ、いみじくにほひみちて、顔にもくゆりかかるここちするに、思ひ寄りぬ。
あさましう、こはいかなることぞと思ひまどはるれど、聞こえむかたなし。
なみなみの人ならばこそ、あららかに引きかなぐらめ、それだに人のあまた知らむは、いかがあらむ。
心も騒ぎて、したひ来たれど、動 (ドウ) もなくて、奥なる御座
(オマシ) に入りたまひぬ。
障子をひきたてて、 「暁に御迎へにものせよ」 とのたまへば、女は、この人の思ふらむことさへ、死ぬばかりわりなきに、流るるまで汗になりて、いとなやましげなる、いとほしけれど、例のいづこより取う出たまふ言の葉にかあらむ、あはれ知らるばかり、なさけなさけしくのたまひつくすべかめれど、なほいとあさましきに、
「うつつともおぼえずこそ、数ならぬ身ながらも、おぼしくたしける御心ばへのほども、いかが浅く思うたまへざらむ。いとかようなる際
(キハ) は、際 (キハ)
とこそはべなれ」
とて、かくおしたちたまへるを、深く、なさけなくうしと思ひ入りたるさまも、げにいとほしく、心はづかしきけはひなれば、
「その際々 (キハギハ) を、まだ知らぬ初事
(ウヒゴト) ぞや。なかなかおしなべたるつらに思ひなしたまへるなむ、うたてありける。おのづから聞きたまふやうもあらむ、あながちなる好き心はさらにならはぬを、さるべきにや、げにかくあはめられたてまつるもことわりなる心まどひを、みづからもあやしきまでなむ」
など、まめだちて、よろづのたまへど、いとたぐひなき御ありさまの、いよいようちとけきこえむことわびしければ、すぐよかに心づきなしとは見えたてまつるとも、さるかたのいふかひなきにて過ぎぐしてむと思ひて、つれなくのみもてなしたり。
人がらのたをやぎるに、強きこころをしひて加へたれば、なよ竹のここちして、さすがに折るべくもあらず。
まことに心やましくて、あながちなる御心ばへを、いふかたなしと思ひて、泣くさまなど、いとあはれなり。
心苦しくはあれど、見ざらましかばくちをしからまし、とおぼす。
なぐさめがたく憂し、と思へれば、
「など、かくうとましきものにしもおぼすべき。おぼえなきさまなるしもこそ、契りあるとは思ひたまはめ。むげに世を思ひ知らぬやうに、おぼほれたまふなむ、いとつらき」
と恨みられて、
「いとかく憂き身のほどのさだまらぬ、ありしながらの身にて、かかる御心ばへを見ましかば、あるまじき我頼みにて、見なほしたまふ後瀬
(ノチセ) をも思うたまへ慰めましを、いとかう仮なる浮寝 (ウキネ)
のほどを思ひはべるに、たぐひなく思うたまへまどはるるなり。よし、今は見きとなかけそ」
とて、思へるさま、げにいとことわりなり。おろかならず契り慰めたまふこと多かるべし。
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