〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/04/10 (木) 帚 木 (二十四)

主人 (アルジ) の子ども、をかしげにてありけり。
童なる、殿上のほどに御覧じ馴れたるもあり。伊予の介の子もあり。
あまたあるなかに、いとけはひあてはかにして十二三ばかりなるもあり。いづれかいづれ、など問ひたまふに、
これは、故衛門 (コエモン) の督 (カミ) の末の子にて、いとかなしくしはべるを、をさなきほどに後れはべりて、姉なる人のよすがに、かくはべるなり。
(ザエ) などもつきはべりぬべく、けしうはべらぬを、殿上なども思うたまへかけながら、すがしうはえまじらひはねらざめる」 と申す。
「あはれのことや。この姉君や、まうとの後の親」
「さなむはべる」 と申すに、
「似げなき親をも、まうけたりけるかな。上にもきこしめしおきて、 『宮仕へにいだし立てむと漏らし奏せし、いかになりにけむ』 と、いつぞやのたまはせし。世こそ定めなきものなれ」
と、いとおよすけのたまふ。
「不意にかくてものしはべるなり。世の中といふもの、さのみこそ今も昔も定まりたることはべらね。中についても女の宿世は浮びたるなむ、あはれにはべる」 など聞こえさす。
「伊予の介は、かしづくや。君と思ふらむな」
「いかがは。私の主とこそは思ひてはべるめるを。すきずきしきことと、なにかしよりはじめて、うけひきはべらずなむ」 と申す。
「さりとも、まうとたちのつきづきしく今めきたらむに、おろしたてむやは。かの介は、いとよしありてけしきばめるをや」
など、物語したまひて、 「いづかたにぞ」 「皆下屋におろしはべりぬるを、えやまかりおりあへざらむ」 と聞こゆ。
酔ひすすみて、皆人々簀に臥しつつ、しづまりぬ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

その邸には、紀伊の守の可愛らしい子供たちがいました。中には殿上童 (テンジョウワラワ) として、源氏の君がすでに見慣れていらっしゃる者もおります。そのなかに伊予の介の先妻の子もいます。大勢の中に、たいそう上品な様子の十二、三ぐらいの少年がいます。どれが誰の子かとお聞きになりますと、紀伊の守が、
「この子は亡くなりました衛門の督の末の子でございまして、たいそう父親が可愛がっておりましたのに、幼い時に父に先だたれました。この子の姉が父の後妻になりました縁で、こちらに頼って来ております。学問などもよく出来そうな子で、人柄もよさそうなので、そのうち殿上童にでもと望んでおりますが、後見もなくて、すんなりとは事が運びそうにもまいりません」
と、申し上げます。
「可哀そうに、するとこの子の姉が、そなたの継母に当るのか」
「さようでございます」
「不似合いな若い母親を持ったものだね。その人のことは帝もお聞きのなっていられたらしく 『たしか衛門の督が娘を宮仕えさせたいと、言葉の端に洩らしていたが、あの娘はその後どうしただろう』 と、いつかお聞きになっていらっしゃいましたよ。男女の仲とは分からないものだね」
と、ひどく老成ぶってお口をきかれます。
「思いがけない縁で、父のもとにまいったのでございます。全く男女の仲というものはこうしたものでして、今も昔も、どうなるか決まっておりません。そういうなかでも女の運命というものは浮き草のようにただよい、哀れなものでございます」
など、紀伊の守は申し上げます。
「伊予の介は、大切に奉仕しているのか。主君のようにあがめているだろうね」
「それは勿論、自分ひとりの御主君と思ってあがめ仕えているようでございます。その様子を年甲斐もなく好色がましいと、わたしはじめ皆々不承知なのです」
などと申し上げます。
「そうはいっても、そなたたちのように、丁度似合いの当世風の若い者などに、妻を譲るものかね。伊予の介はあれでなかなか色気ある伊達男だもの」
などとお話なさった後で、
「ところで、その人たちは今、どこぬいるの」
とお聞きになります。
「皆、離れに下がらせたはずですが、残った者もいるかもしれません」
と申し上げます。
酔いがまわって、お供の人々は、皆、縁に寝てひっそりしてきました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ