「にはかに」 とわぶれど、人も聞き入れず。寝殿 (シンデン)
の東面 (ヒガシオモテ) 払ひあけあせて、かりそめの御しつらひしたり。
水の心ばへなど、さるかたにをかしくしなしたり。田舎家 (イナカイエ)
だつ柴垣 (シバガキ) して、前栽
(ゼンサイ) など心とめて植ゑたり。風涼しくて、そこはかとなき虫の声々聞こえ、螢しげく飛びまがひて、をかしきほどなり。
人々、渡殿より出でたる泉にのぞきゐて、酒飲む。主人もさかな求むと、こゆるぎの急ぎありくほど、君はのどやかにながめたまひて、かの中の品に取り出でて言ひし、このなみならむかしとおぼしいづ。
思ひあがれるけしきに聞きおきたまへるむすめなれば、ゆかしくて、耳とどめたまへるに、この西面にぞ人のけはひする。
衣 (キヌ) のおとなひはらはらとして、若き声どもにくからず。さすがに忍びて、笑ひなどするかはひ、ことさらびたり。
格子をあげたりけれど、守、心なしと、むつかりて、おろしつれば、火ともしたる透影 (スキカゲ)
、障子の上より漏りたるに、やをら寄りたまひて、見ゆやとおぼせど隙
(ヒマ) もなければ、しばし聞きたまふに、この近き母屋 (モヤ)
につどひゐたるなるべし、うちささめき言ふことどもを聞きたまへば、わが御うへなるべし。
「いといとうまめだちて、まだきに、やむごとなきよすが、さだまりたまへるこそ、さうざうしかめれ。されど、さるべき隅には、よくこそ隠れありきたまふなれ」
などと言ふにも、おぼすことのみ心にかかりたまへば、まづ胸つぶれて、かやうのついでにも、人の言ひ漏らさむを聞きつけたらむとき、などおぼへたまふ。
ことなることなければ、聞きさしたまひつ。
式部卿の宮の姫に、朝顔奉りたまひし歌などを、すこしほほゆがめて語るも聞こゆ。
くつろぎがましく、歌誦 (ズ) じがちにもあるかな、なほ見劣りはしなむかし、とおぼす。
守出で来て、灯籠かけそへ、火明くかかげなどして、御くだものばかり参れり。
「とばり帳もいかにぞは。さるかたの心もなくては、めざましき饗 (アルジ)
ならむ」 とのたまへば、
「何よけむとも、えうけたまはらず」 と、かしこまりてさぶらふ。端つかたの御座 (オマシ)
に、仮なるやうににて大殿籠れば、人々もしづまりぬ。
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