「すべて男も女も、わづかに知れるかたのことを、残りなく見せ尽くさむと思へるこそ、いとほしけれ。
三史五経 (サンシゴキョウ) 、道々しきかたを、あきらかにさとりあかさむこそ、愛敬
(アイギョウ) なからめ、などかは、女といはむからに、世にあることの公私につけて、むげに知らずいたらずしもあらむ。
わざと習ひまねばねど、すこしもかどあらむ人の、耳にも目にもとまること、自然に多かるべし。
さるままには、真名 (マンナ) をはしり書きて、さるまじきどちの女文
(ヲンナブミ) に、なかば過ぎて書きすすめたる、あなうたて、この人のたをらかならましかばと見えたり。
ここちにはさしも思はざらめど、おのずからこはごはしき声に読みなされなどしつつ、ことさらびたり。
上揩フなかにも、多かることぞかし。
歌詠むと思へる人の、やがて歌にまつはれ、をかしき古きことをも、はじめよりとりこみつつ、すさまじきをりをり、詠みかけたるこそ、ものしきことなれ。
返しせねばなさけなし、えせざらむ人は、はしたなからむ。
さるべき節会 (セチエ) など、五月の節 (セチ)
に急ぎ参る朝、何のあやめも思ひしづめられぬに、
えならぬ根をひきかけ、九日の宴に、まづ難き詩の心を思ひめぐらして、 暇なきをりに、菊の露をかこちよせなどやうの、つきないいとなみにあはせ、さならでも、おのづから、げに後に思へばをかしくもあはれにもあべかりけることの、そのをりにつきなく、目にとまらぬなどを、おしはからず詠み出でたる、なかなか心後れて見ゆ。
よろづのことに、などかは、さても、とおぼゆるをりから、時々、思ひかなわぬばかりの心にては、よしばみ情立たざらむなむ目やすかるべき。
すべて、心に知られむことをも、知らず顔にもてなし、言はまほしからむことをも、一つ二つのふしは、過ぐすべくなむあべりかりける」
と言ふにも、君は人ひとりの御ありさまを、心のうちに思ひつづけたまふ。
これに、足らずまたさし過ぎたることなくものしたまひけるかなと、ありがたきにも、いとど胸ふたがる。
いづかたにより果つともなく、果て果てあやしきことどもになりて、あかしたまひつ。
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