〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/04/05 (土) 帚 木 (十八)

「さて、その文のことばは」 と問ひたまへば、
「いさや、ことなることもなかりきや。
『山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに あはれはかけよ 撫子の露』
思ひいでしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて虫に音にきほへるけしき、昔物語めきておぼえはべりし。
『咲きまじる 色は何れと わかねども なほ常夏に しくものぞなき』
大和撫子をばさしおきて、まづ、塵をだに、など親の心をとる。
『うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり』
と、はかなげに言ひまして、まめまめしく恨みたるさまも見えず、涙をもらしおとしても、いとはづかしくつつましげにまぎらはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに、あともなくこそかき消ちて失せにしか。
まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえ置かず、さるものになして、長く見るやうもはべりなまし。
かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今にえこそ聞きつけはべらね。
これこそ、のたまへるはかなき例 (タメシ) なめれ。つれなくて、つらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。
今やうやう忘れゆくきはに、かれはた、えしも思ひ離れず、をりをり人やりならぬ胸こがるる夕 (ユウベ) もあらむとおぼへはべり。
これなむ、えたもつまじくたのもしげなきかたなりける。さればさのさがなるものも、思ひであるかたに忘れがたけれど、さしあたりて見むには、わづらはしく、よくせずはあきたきこともありなむや。
琴の音すすめけむかどかどしさも、すきたる罪重かるべし。
この心もとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。
世の中や、ただかくこそ、とりどりにくらべぐるしかるべき。このさまざまのよき限りをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。
吉祥天女を思ひかけむとすれば、法気 (ホトケ) づき、くすしからむこそ、またわびしかりぬべけれ」
とて、皆笑ひぬ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

源氏の君が、
「それで、その手紙には何と」
とお訊ねになりますと、
「いえまあ、格別のこともありませんでしたよ。
『山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに あはれはかけよ 撫子の露 』
(山里の家の垣根は 荒れはてていても せめてたまには訪れて 情けをかけてほしいもの あなたの可愛い撫子に)
と書いてきた子の手紙で思い出しましたので訊ねましたら、例の通り何のわだかまわりも見せず迎えますが、ひどく物思いに屈託した表情で、荒れた家の夜露の、しとどに置いた庭をながめながら沈みこみ、虫の音に負けないほど忍び泣きしているのです。その女の様子が、何か昔物語めいて見えるのでした。
『咲きまじる 色は何れと わかねども なほ常夏に しくものぞなき』
(秋の花が咲き競って どれが美しいとも決めかねる それでもわたしはただひとつ 常夏のお前ばかりが 好きなのさ)
など歌い返して、撫子の子供のことはさしおいて、 <咲しより妹とわが寝る常夏の花> という古歌の愛妻家の心で、まず母親の機嫌を取り結びました。
女は、
『うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり』
(あなを迎える床も それを払うわたしの袖も 涙に濡れてしめっているのに 嵐まで吹きそって 悲しい秋になりました)
とさりげなく言いつくろって、心の底から恨んでいるようにも見えませんし、ふと涙をこぼしても、とても恥ずかしそうにとりつくろって隠そうとします。わたしのことで心の底では苦しんでいるのにそれを悟られるのは、この上なくつらく思っている様子なので、わたしの方はまあ大したこともないだろうと気楽に考えて、その後も訪ねてもやらず捨てておきました。
すると女は突然姿をくらまして、行方不明になってしまったのです。
もしまだ生きていたら、冷たい世間を落ちぶれて流浪していることだろう。
わたしが愛していた頃に、うるさく付きまとうように女がしてくれていたら、みすみすこんなふうに行方知れずにさせるようなことはしなかっただろうに。あんなふうにひどい途絶え方をせず、妻の一人として、末長く愛することも出来ただろうに。
あの撫子が可愛かったので、わたしは何とかして尋ね出したいと思うのですが、今でもまったく消息がわかりません。
これこそ、さっき話に出た頼りない女の例でしょうね。女が表面ではさりげない顔をしながら、内心私の冷たさを恨んでいたとも知らずに、わたしの方では、心の奥ではいとしいともなつかしいとも思いつづけていたのでしたが、無益な片想いだったわけですよ。
この頃、ようよう忘れかけたのですが、女の方ではわたしを忘れることが出来ないで、折々は、ひとり自分の胸を焦がす夕べもあることだろう。
これこそ、末長く何時迄も添いとげられない、頼りにならない男女の仲というものですよ。だから、あの焼き餅やきのやかましやも、思い出としては忘れ難いだろうが、面と向かえばうるさくて、悪くすると、飽いて嫌気がさすこともあるでしょう。
琴の上手な才女にしても、浮気の罪は重いだろう。
常夏の女の頼りないのも、ほかに男がいるのではないかとこちらに疑い心がおきることもあるので、結局、どの女が一番よいとも決められない。それが男女の仲というものだろうか。
ただこればかりは、今までの話のように、とりどりに女を並べてみても優劣がつけかねる。こいう女たちの、いいところだけを取り具えていて、欠点は持っていないというような理想の女は、いったいどこにいるのだろうね。吉祥天女に思いをかけて妻にするのも、末香臭く、堅苦しくて、何ともはや、困ったものだろう」
とういうので、みんな笑ってしまいました・

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ