「さて、その文のことばは」 と問ひたまへば、
「いさや、ことなることもなかりきや。
『山がつの 垣ほ荒るとも をりをりに あはれはかけよ 撫子の露』
思ひいでしままにまかりたりしかば、例のうらもなきものから、いともの思ひ顔にて、荒れたる家の露しげきをながめて虫に音にきほへるけしき、昔物語めきておぼえはべりし。
『咲きまじる 色は何れと わかねども なほ常夏に しくものぞなき』
大和撫子をばさしおきて、まづ、塵をだに、など親の心をとる。
『うち払ふ 袖も露けき 常夏に あらし吹きそふ 秋も来にけり』
と、はかなげに言ひまして、まめまめしく恨みたるさまも見えず、涙をもらしおとしても、いとはづかしくつつましげにまぎらはし隠して、つらきをも思ひ知りけりと見えむは、わりなく苦しきものと思ひたりしかば、心やすくて、またとだえ置きはべりしほどに、あともなくこそかき消ちて失せにしか。
まだ世にあらば、はかなき世にぞさすらふらむ。あはれと思ひしほどに、わづらはしげに思ひまとはすけしき見えましかば、かくもあくがらさざらまし。こよなきとだえ置かず、さるものになして、長く見るやうもはべりなまし。
かの撫子のらうたくはべりしかば、いかで尋ねむと思ひたまふるを、今にえこそ聞きつけはべらね。
これこそ、のたまへるはかなき例 (タメシ) なめれ。つれなくて、つらしと思ひけるも知らで、あはれ絶えざりしも、益なき片思ひなりけり。
今やうやう忘れゆくきはに、かれはた、えしも思ひ離れず、をりをり人やりならぬ胸こがるる夕 (ユウベ)
もあらむとおぼへはべり。
これなむ、えたもつまじくたのもしげなきかたなりける。さればさのさがなるものも、思ひであるかたに忘れがたけれど、さしあたりて見むには、わづらはしく、よくせずはあきたきこともありなむや。
琴の音すすめけむかどかどしさも、すきたる罪重かるべし。
この心もとなきも、疑ひ添ふべければ、いづれとつひに思ひ定めずなりぬるこそ。
世の中や、ただかくこそ、とりどりにくらべぐるしかるべき。このさまざまのよき限りをとり具し、難ずべきくさはひまぜぬ人は、いづこにかはあらむ。
吉祥天女を思ひかけむとすれば、法気 (ホトケ)
づき、くすしからむこそ、またわびしかりぬべけれ」
とて、皆笑ひぬ。
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