〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/03/28 (金) 帚 木 (十四)

内裏 (ウチ) わたりの旅寝 (タビネ) 、すさまじかくべく、けしきばめるあたりはそぞろ寒くや、と思うたまへられしかば、いかが思へると、けしきも見がてら、雪をうち払ひつつ、なま人わろく爪くはるれど、さりとも今宵日ごろの恨みはとけなむ、と思うたまへしに、火ほのかに壁にそむけ、なえたる衣 (キヌ) どもの厚肥 (アツゴ) えたる、大いなる籠 (コ) にうち掛けて、引き上ぐべきものの帷 (カタビラ) などうち上げて、今宵ばかりやと、待ちけるさまなり。 さればよと、心おごりするに、正身はなし。
さるべき女房どもばかりとまりて、親の家に、この夜さりなむ渡りぬると、答えはべり。
艶なる歌も詠まず、けしきばめる消息もせで、いとひたやごみりに情なかりしかば、あへなきここちして、さがなく許しなかりしも、我をうとみねと思ふかたの心やありけむ、と、さしも見たまへざりしことなれど、心やましきままに思ひはべりしに、着るべきもの、常より心とどめたる色あひしざま、いとあらまほしくて、さすがにわが見捨ててむ後をさへなむ、思ひやり後見したりし。
さりとも絶えて思ひ放 (ハナ) つやうはあらじと思うたまへて、とかく言ひはべりしを、そむきもせず、尋ねまどはさむとも隠れ忍びず、かかやかしからずいらへつつ、ただ 『ありしながらは、えなむ見過ぐすまじき。あらためてのどかに思ひならばなむ、あひ見るべき』 など言ひしを、さりともえ思ひ離れじと思うたまへしかば、しばし懲らさむの心にて、しかあらためむとも言はず、いたく綱引きて見せしあひだに、いといたく思ひ嘆きて、はかなくなりはべりしかば、たはぶれにくくなむおぼえはべりし。
ひとへにうち頼みたらむかたは、さばかりにてありぬべくなむ、思うたまへいでらるる。
はかなきあだことをも、まことの大事をも、言ひあはせたるにかひなからず、龍田姫 (タツタヒメ) と言はむにもつきなからず、たなばたの手にも劣るまじく、そのかたも具して、うるさくなむはべりし」
とて、いとあはれと思ひ出でたり。
中将、
「そのたなばたの裁ち縫ふかたをのどめて、長き契りにぞあえまし。 げにその龍田姫の錦 (ニシキ) には、またしくもののあらじ。はかなき花紅葉 (ハナモミジ) といふも、をりふしの色あひつきなく、はかばかしからぬは、露のはえなく消えぬるわざなり。さあるにより、かたき世とは、定めかねたるぞや」
と、言ひはやしたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

今更宮中へ戻って宿直をするのも味気ないものですし、もう一人の気取り屋のもったいぶった女の所では、打ち解けずうそ寒い気がすることだろうと思ううち、ああ、あの女は今頃、どうしているだろうかと思い出し、様子を見がてら訪ねてみようと思いたって、とうとう雪になった白いものをうち払いながらその女の家へ向かいました。
何となく体裁が悪くきまりの悪い思いでしたが、そうはいっても、今夜のような雪の夜に訪ねたら、日頃の恨みも解けるだろうなどと思いながら、行ってみたのです。
女の家では燈火も壁際に寄せ、部屋の内はほの暗くして、柔かい着物に綿のたくさん入ったのを大きな伏籠に掛けてあたためてあります。几帳の帷子などは引き上げて、今夜こそはとわたしを待ち設けていた様子でした。
それ見たことかと、内心得意になったのですが、肝心の女の姿が見えません。
何人かの女房たちが留守をしていて、女は今夜、親の家へ出かけたというのです。
あれ以来、色っぽい歌も詠んで来ず、思わせぶりな手紙もよこさず、すっかり影をひそめて家に引き篭もったきりで、冷淡でしたので、こちらも張り合いが抜けて、さてはあんなにやかましくわたしの浮気をとがめだてしたのも、自分を嫌わせようとする女の愛想づかしであったのか、そこまでの素ぶりは見えなかったがなどと、むしゃくしゃする心に、そんなことまで考えたのでした。
それにしても、わたしの着るものまで用意してあるし、それは見るからにいつもより心のこもった色あいや仕立てで申し分なくて、さすがに自分から捨ててしまった男の後々のことまで、心配してくれてあったのです。
いくら女が頑固に冷淡に見せてもまさかわたしとこれっきり絶縁してしまうようなことはないだろうと思いまして、その後もいろいろと言ってやりましたが、別に逆らいもせず、また身を隠してわたしに尋ねまどわせるようなこともしないで、きまりの悪い思いをさせない程度に手紙の返事もよこします、ただ、
『以前のままの浮気なお気持ちなら、どうしてそれを見過ごすことが出来るでしょう。浮気な心を改めて、もっと落ち着いて下さいますなら、またお逢いしてもいいのですけれど』
などと言いましたので、そんなことを言ったって、どうせ思いきれもしないくせにと、高をくくって、しばらく懲らしめてやろうと考えました。
女の言うように浮気はやめるとも言ってやらず、わざと意地を張っていた間に、女はたいそう悩み悲しんだあげく、亡くなってしまいました。
つまらない冗談はほどほどにするものだと、つくづく思い知りました。何もかも任せきれる女としては、あれくらいの女で結構だったのにと、今となっては惜しまれてなりません。
ちょっとした趣味のことでも、大切な要件でも、相談相手として頼もしく、染物の腕は龍田姫といっていいくらいでしたし、裁縫も棚機姫にも劣らないほどの腕で、そちらの才能もすぐれておりました」
と話しながら、可哀想な事をしたと、しみじみ思い出しているようです。
頭の中将は、
「その棚機姫の裁縫の上手な事はさしおいても、牽牛、織女の永い契りにはあやかればよかったのに。
たしかにその人は龍田姫の錦のように、妻としてそれ以上の女はいなかったのだろうね。ありふれた花や紅葉にしたって、季節にあわせて咲いたり、染まったりしないのは、色がぼやけて少しも引き立たず、映えないままで、消えてしまうものなのだ。
女も全く同様で、理想的な妻を選ぶなんてむずかしくて、めったに出来るものではないさ」
と左馬の頭の話に相槌を打たれます。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ