「さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり、心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠み、はしり書き、かい弾く爪音
(ツマオト) 、手つき口つき、みなたどたどしからず、見聞きわらりはべりき。
見るめもこともなくはべりしかば、このさがなものを、うちとけるかたにて、時々かくろへ見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。
この人亡 (ウ) せてのち、いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、すこしまばゆく、艶にこのましきことは、目につかぬ所あるに、うち頼むべくは見えず、かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心かはせる人ぞありけらし。
神無月のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏よりまかではべるに、ある上人の来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、大納言の家にまかりとまらむとするに、この人言ふよう、
『今宵人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しき』
とて、この女の家はた、よきぬ道なりければ、荒れたる崩れより、池の水かげ見えて、月だにやどる住処
(スミカ) を、過ぎむもさすがにて、おりはべりぬかし。
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