〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/03/29 (土) 帚 木 (十五)

「さて、また同じころ、まかり通ひし所は、人も立ちまさり、心ばせまことにゆゑありと見えぬべく、うち詠み、はしり書き、かい弾く爪音 (ツマオト) 、手つき口つき、みなたどたどしからず、見聞きわらりはべりき。
見るめもこともなくはべりしかば、このさがなものを、うちとけるかたにて、時々かくろへ見はべりしほどは、こよなく心とまりはべりき。
この人亡 (ウ) せてのち、いかがはせむ、あはれながらも過ぎぬるはかひなくて、しばしばまかり馴るるには、すこしまばゆく、艶にこのましきことは、目につかぬ所あるに、うち頼むべくは見えず、かれがれにのみ見せはべるほどに、忍びて心かはせる人ぞありけらし。
神無月のころほひ、月おもしろかりし夜、内裏よりまかではべるに、ある上人の来あひて、この車にあひ乗りてはべれば、大納言の家にまかりとまらむとするに、この人言ふよう、
『今宵人待つらむ宿なむ、あやしく心苦しき』
とて、この女の家はた、よきぬ道なりければ、荒れたる崩れより、池の水かげ見えて、月だにやどる住処 (スミカ) を、過ぎむもさすがにて、おりはべりぬかし。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

「実は、同じその頃、もう一人、通っていた女がありました。そっちは人柄もずっとよく、心ばえも奥ゆかしく見え、歌も上手に詠み、文字も流麗で、琴の音色もおよそ手でする技、物のいい方など、すべてなかなかのものでした。
器量もまあ見られるほうでしたから、例の焼もち焼きの女を、遠慮の要らない世話女房として、こちらへは時々通っている分には、とても気に入っていました。
焼きもち焼きの女が亡くなりましたので、可哀想でしたが、今更どうなるものでもなし、自然残った女の方へ足繁く通うようになりました。
ところがそうなってみると、少し派手すぎて、何となく色っぽく浮気らしい点が鼻についてきまして、信頼できないと思い、通うのも間遠になってきました。
その間に、他の男がこっそり通いはじめていたのででした。
十月の月の美しいある夜のことでした。
私が宮中から退出しようとすると、一人の殿上人が来合わせて、わたしの車に相乗りして来ました。わたしは父の大納言の家へ泊まるつもりでしたところ、この男が、
『今夜、わたしを待っているにちがいない女のことが、妙に気にかかって』
といいます。わたしのその女の家が丁度通り道にあたっていましたので、そこまで同行するはめになりました。
荒れた築地塀 (ツイジベイ) の崩れから、池の水に月影が宿っているのが見えます。月さえ宿る家を、素通りも出来かねて、車を降りた男の後から、わたしもこっそりついて行きました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ