〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/03/16 (日) 帚 木 (十二)

中将いみじく信じて、頬杖 (ツラヅエ) をつきてむかひゐたまへり。法の師の、世のことわり説き聞かせむ所のここちするも、かつはをかしけれど、かかるついでは、おのおの睦言 (ムツゴト) もえ忍びえとどめずなむありける。
「はやう、まだいと下 (ロウ) にはべりし時、あはれと思ふ人はべりき。聞こえさせつるやうに、容貌などいとまほにもはべらざりしかば、若きほどのすき心には、この人をとまりにと思ひとどめはべらず、よるべとは思ひながら、さうざうしくて、とかくまぎれはべりしを、もの怨 (エン) じをいたくしはべりしかば、心づきなく、いとかからで、おいらかならましかばと思ひつつ、あまりいと許しなく疑ひはべりしもうるさくて、かく数ならぬ身を見も放 (ハナ) たで、などかくしも思ふらむと、心苦しきをりをりもはべりて、自然に心をさめらるるやうになむはべりし。
この女のあるやう、もとより思ひいたらざりけることにも、いかでこの人のためにはと、なき手をいだし、後れたる筋の心をも、なほくちをしくは見えじと思ひはげみつつ、とにかくにつけて、ものまめたやに後見、つゆにても、心に違ふことはなくもがなと思へりしほどに、進めるかたと思ひしかど、とかくになびきて、なよびゆき、みにくき容貌をも、この人に見やうとまれむと、わりなく思ひつくろひ、うとき人に見えば、おもてぶせにや思はむと、憚 (ハバカ) り恥ぢて、みさをにもてつけて、見馴るるままに、心もけしうあらずはべりしかど、ただこの憎きかた一つなむ、心をさめずはべりし。
そのかみ思ひはべりしやう、かうあながちに従ひおぢたる人なめり、いかで懲 (コ) るばかりのわざして、おどして、このかたもすこしよろしくもなり、さがなさもやめむ、と思ひて、まことに憂 (ウ) しなども思ひて絶えぬべきけしきならば、かばかり我に従ふ心ならば思ひ懲 (コ) りなむ、と思うたまへ得て、ことさらに情なくつれなきさまを見せて、例の腹立ち怨 (エン) ずるに、
『かくぞおぞましくは、いみじき契り深くとも、絶えてまた見じ。限りと思はば、かくわりなきもの疑ひはせよ。ゆくさき長く見えむと思はば、つらきことありとも、念じてなのめに思ひなりて、かかる心だに失せなば、いとあはれともなむ思ふべき。
人なみなみにもなり、すこしおとなびむに添へて、またならぶ人なくあるべきやう』
など、かしこく教へたつるかなと思うたまへて、われたけく言ひそしはべるに、すこしうち笑ひて、

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

頭の中将は、すっかり感心しきって、頬杖をつきながら向いあって傾聴しています。
まるで尊い法師が世間の道理を聞かせる説教所のような感じがするのも、はたから見れば滑稽ですけれど、こういう場合はつい、めいめいの恋の睦言も隠しきれず、ひけらかして喋ってしまうものなのでした。
「ずいぶん昔の話ですが、わたしがまだほんの下っ端だった頃、いとおしく思った女がおりました。
さきほどお話しましたように、器量などは大してよくもありませんでしたので、若気の浮気心には、この女を生涯の妻にしようなどとは考えてもいなく、ただ、頼りになる女だと思って関係はつづけていました。
それでも何だかもの足りなく、あちこち他の女の許へ通い遊んでいました。そんな私に、女はひどく嫉妬 (ヤキモチ) をやきますので、それが不愉快で、こんな嫉妬やきでなく、もっとおっとり構えていてくれたらいいのにと、いつも思っていました。
女があまり容赦なく疑って嫉くのがうとおしくてなりません。それにしても、こんなつまらない自分のような男によく愛想もつかさず、どうしてこんなに思ってくれるのだろうと、すまなく思う折々もありまして、どうやら浮気の虫もおさまるという具合になっていました。
この女の性格といいましたら、もともと自分には不得手なことでも、この男のためと思えば無理にもあれこれ工夫してやってのけます。
あまり得意でない方面のことでも、何とかして夫に見限られないようにとずいぶん努力して、何かにつけて甲斐々々しく世話をするという調子で、少しでも夫の機嫌を損なうことのないようにと心掛けています。
最初は勝気な負けず嫌いの女だとは思っていましたが、何でも私の言うことに従って、次第におとなしくなってきました。
不器量で、夫に嫌われはしないかと、いじらしく精いっぱい化粧をして、他人に見られたら、夫が恥ずかしく思わないかと、遠慮して出しゃばりません。
そんなふうに心を遣って、いつもきちんとしていてくれましたので、連れ添うにつれて性質も悪くない女だと次第に思うようになっていました。
ただひとつ、憎らしいこの嫉妬だけは、一向におさまらないのでした。
その当時、この女はこんなに無闇に私に惚れこんで、怯えきっているのだから、ひとつ懲りるような目にあわせておどろかせてやったら、少しは嫉妬も慎み、口やかましさも止むかもしれないと思ったのです。
わたしがほとほと愛想をつかしたふりをして、縁を切るぞというそぶりを見せたら、きっと女も懲りるだろうと思い、わざとことさらに冷たく薄情な態度を見せてやりました。
案の定、女は嫉妬に逆上し、怒って怨みごとをいいたてます。そこで、
『お前がこんなに嫉妬深く我が強いなら、夫婦の宿縁がどれほど深い仲でも、もう二度と会いたくない。これが縁の切れ目と思うなら、勝手にどんな邪推でもするがいい。
もし末長く添い遂げようと思うなら、わたしのすることに辛いことがあっても辛抱して、いい加減にあきらめて折れ合うようにしろ。その嫉妬深いという悪い癖さえ直してくれたら、わたしだって、お前をどれほど深く愛するかしれない。わたしだってそのうち人並みに出世して、多少は身分も上がれば、その時には、お前と肩を並べる女もいなくて、れきっとした本妻になれるのだよ』
など、我ながらうまく言いくるめたと、調子に乗って喋りまくりますと、女はにやにやして、

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ