〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/03/14 (金) 帚 木 (十一)

「よろずのことによそへておぼせ。木の道の工 (タクミ) の、よろずの物を心にまかせて作りいだすも、臨時のもてあそび物の、その物と、あともさだまらぬは、そばつきさればみたるも、げにかうもしつべかりけりと、時につけつつ、さまをかへて、今めかしき目移りて、をかしきもあり。
大事として、まことにうるはしき人の調度の飾りとする、さだまれるやうある物を、難なくしいづることなむ、なほまことのものの上手は、さまことに見えわかれはべる。
また絵所 (エドコロ) に上手多かれど、墨かきに選ばれて、次々にさらに劣りまさるけぢめ、ふとしも見えわかれず。
かかれど、人の見及ばぬ蓬莱 (ホウライ) の山、荒海のいかれる魚のすがた、唐国のはげしきけだもののかたち、目に見えぬ鬼の顔などの、おどろおどろしく作りたるものは、心にまかせて、ひときは目おどろかして、実 (ジチ) には似ざらめど、さてありぬべし。
この世の常の山のたたすまひ、水の流れ、目に近き人の家居 (イヘイ) ありさま、げにと見え、なつかしくやはらいだるかたなどを、静かにかきまぜて、すくよかならぬ山のけしき、木深 (コブカ) く、世離れてたたみなし、け近き籬 (マガキ) のうちをば、その心しらひおきてなどをなむ、上手はいといきほひことに、わろものは及ばぬ所多かめる。
手を書きたるにも、深きことはなくて、ここかしこの、点長 (テンナガ) にはしり書き、そこはかとなくけしきばめるは、うち見るに、かどかどしくけしきだちたれど、なほまことの筋をこまやかに書き得たるは、うはべの筆消えて見ゆれど、今ひとたび取りならべて見れば、なほ実になむよりける。
はかなきことだにかくこそはべれ。まして人の心の、時にあたりてけしきばめらむ、見る目の情をば、え頼むまじく思うたまへ得てはべる。
そのはじめのこと、すきずきしくとも申しはべらむ」
とて、近くゐ寄れば、君も目さましたまふ。

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

「男女のことを、世間の様々のことに引き比べて考えてごらんなさいませ。たとえば指物師が、さまざまな細工物を自由に制作する場合も、その場かぎりの翫弄物 (モテアソビモノ) には、こうでなければならないという、形や作り方の規定がありませんので、見た目にしゃれたものを、なるほど、こういうものを作れるのだなと、臨機応変に趣向を変えて造りますと、目新しさに惹かれ、おもしろがられる物もあります。
部屋の装飾の、格式のある立派な調度として、きちんと決まった様式のものを作る段になりますと、その盛作の立派さは際立って、やはり真の名人の作品は、ちがいが一目でわかります。
また、宮中の絵所には名人上手がたくさんいますが、墨書きに選び出された絵師たちに、下絵を書かせたものを次々に見比べても、その優劣はちょっと見分けがつきません。
ところが、人が見ることもできない蓬莱山 (ホウライサン) や荒海の恐ろしそうな魚の姿や、唐国に住むという猛々しい獣の姿、人の目には見えない鬼神の顔などといった、おどろおどろしく描かれた空想の絵は、画家が想像にまかせて思う存分に筆を振るっていますので、人目を驚かせるには充分で、実物に似る似ないは問題にいたしません。
けれども、ごくありふれたそこらにあるような山のたたずまいや水の流れ、見慣れた人の家居の様子などを、写実で描いてありますと、なるほどそっくりだと思われて、その間に親しみやすく、のどかな点景などを、ほどよくしっとりとあしらい、なだらかな山の風景を、木立深く、いかにも浮世離れした幽邃の地のように幾重にも重ねて描きながら、すぐ目の前の籬 (マガキ) の内の風景も、木石の配置まで心配りして描くとなると、名人は筆の勢いも格別でして、凡庸な絵描きはとても敵わない所が多いのです。
文字を書いてもそうです。深い素養もないのに、ただあちこちの線を長く引いたりして、走り書きにして、何となく気取って技巧をみせつけたつもりなのは、ちょっと見には、気がきいているようですが、やはり本格的な書法を習いこんだ真面目で丁寧な書き方のほうが、一見、筆づかいが見栄えしないようでも、もう一度並べて比べてみると、やはり本格的な修業をした人が丹念に書いたものが、技巧だけのより秀れているのがわかります。
ちょっとした技芸でもこの通りなのです。まして人の心は、その折々に見せる思わせぶりな目先だけの情愛など、信頼のおけるものではありません。
私の昔の失敗談をお話しましょうか。色好みの浮気者とお思いになるかもしれませんが、まあ、聞いてください」
と、膝を進めてきますと、源氏の君も眼をおさましになりました。

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ