〜 〜 『 源 氏 物 語 』 〜 〜
 

2008/03/12 (水) 帚 木 (九)

濁りにしめるほどよりも、なまうかびにては、かへりあしき道にもただよひぬべくぞおぼゆる。
絶えぬ宿世あさかで、尼にもなさで尋ね取りたらむも、やがてあひ添ひて、とあらむをりも、かからむきざみをも、見過ぐしたらむ仲こそ、契り深くあはれならめ、われも人も、うしろめたく心おかれじやは。
また、なにめにうつろふかたあらむ人を恨みて、けしきばみそむかふはた、おこがましかりなむ。
心はうつろふかたありとも、見そめし心ざしいとほしく思はば、さるかたのよすがに思ひてもありぬべきに、さやうならむたぢろきに、絶えぬべきわざなり。
すべてよろずのことなだらかに、怨 (エン) ずべきことをば、見知れるさまにほのめかし、恨むべからむふしをも、にくからずかすめなさば、それにつけて、あはれもまさりぬべし。
多くは、わが心も、見る人からをさまりもすべし。
あまりけむげにうちゆるべ見放ちたるも、心やすくらうたきやうなれど、おのづから軽きかたにぞおのへはべるかし。
つながぬ舟の浮きたるためしも、げにあやなし。さははべからぬか」

(口語訳・瀬戸内 寂聴)

在世で煩悩に苦しんでいた時よりも、こういう生半可な出家では、かえって地獄に堕ちて悪道をさ迷いそうに思われます。
また、世間からの縁が浅くなく、尼にならない前に夫が見つけて連れ戻したというような場合も、いったんそういうことがありますと、いくら仲直りしても、すっきりしないでしょう。
何があっても、どんな危機に見舞われても、何とかその危機を二人でやり過ごしてきた仲だからこそ、夫婦の宿縁も深く、愛情もいっそう湧くものでしょう。
そrてなのに出家騒ぎなどあった後は、男も女も不安で、また何が起こるかと、安心しきるわけにはまいりません。
また、少々男の心がほかへ移ったといっては、恨んでいきり立ち、仲たがいしてしまうのも、全くお粗末な話です。
心はほかの女に移っていても、二人が結ばれた頃の愛情を思えば、女がいとしくて、これはこういう縁だと思って、別れれしまう気持ちなどはないのに、女の方が騒ぎ立てたどさくさにまぎれに、つい、せっかくの縁も切れてしまうというものなのです。
何事もすべて女はおだやかに、たとえ嫉妬することがあっても、知っていますよという程度に何となくほのめかして、恨みごとを言いたい場合も、さりげなく、やんわり伝えると、夫の方は、そんな女の態度にかえって不憫さを深めましょう。
だいたい夫の浮気は、妻次第で、おさまりもするものなのです。かと言ってあまりむやみに夫を自由にさせ、放任しておくのもいかがなものでしょうかな。
放任されると男は気が楽で、そんな寛大な妻を可愛く思ってくれそうですが、かえってそういう女は、軽く見くびられる恐れがあります。
<泛きたること繋がざる舟の若し> と文選にもありますが、岸に繋がれぬ舟が風まかせに漂いますように、妻に干渉されない浮気は、男にとってはかえって面白みもありません。
如何ですか、そうでしょう」

新調日本古典集成 『源氏物語 (一) 』 校注者・石田 穣二 清水 好子 発行所・ 新潮社
『源氏物語 巻一』 著者 ・瀬戸内 寂聴 発行所・ 講談社 ヨ リ